共産主義の新しいカタチ 89

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

善悪の彼岸とは何か
インテルメッツォ①

 ロラン・バルトの記号論は、「テクストの生成」と「作者の死」の考え方から、著作権というものは何かを考えさせ、「オープンソース」の発想につながることを述べました。

無神論者=リベルタンとしてのサド
 しかしながら、バルトは「革命のエクリチュール」を唱え、その著書『サド、フーリエ、ロヨラ』は特にポストモダン思想に強い影響力を残したサドとフーリエを採り上げた点で侮れません。「無神論者=リベルタン」としてのサドの、道徳価値の転倒を説くニーチェすら超える「悪徳」賛美は、「革命的エクリチュール」展開の上で格好のテクストでした。

 このうちサド、つまりサド侯爵については、「リベルタン(“リベルタン”は1617世紀の無神論的自由思想家の意味から転じて、18世紀には性的放蕩者の意味)=無神論」が実は、サドの思想の中核と考えられています。

 ここで想起されるのが、いわゆる「ユーロコミュニズム」としての地位を確立したフランクフルト学派の創始者であるホルクハイマーとアドルノの共著『啓蒙の弁証法』です。

 実は、この『啓蒙の弁証法』で比較対照する思想としてイマヌエル・カントにおける「啓蒙」の考え方と、サド侯爵の「道徳の彼岸」、言い換えると「悪徳の栄え」です。

 この「道徳の彼岸」という意味では、『善悪の彼岸』を書いたニーチェの思想が想起されますが、ニーチェよりも遙(はる)かに善悪観を解体し、悪に積極的な意味づけをしているのです。この点が、さらにバルトの後に哲学者としてはより高名であり、21世紀の現代への影響が大きいのがミシェル・フーコーです。フーコーに至ってはサドをより思想的「革命家」として評価しているのです(ジェンダー論、LGBT思想の理論的支柱といえます)。

(続く)

「思想新聞」2025年11月15日号より

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