夫婦愛を育む 47
夫婦間で説教しない

ナビゲーター:橘 幸世

 天皇陛下の平成最後の誕生日メッセージに日本中が感銘を受けました。とりわけ、皇后さまに寄せられたねぎらいの言葉は、私を含め多くの人の胸を熱くしました。ご自分の縁と立場を受け止め、夫の思いをわが思いとし、60年にわたって文字どおり“伴侶”として歩みを共にされた皇后さま。そんなご夫婦を国の象徴としていただいている日本人は幸運だと思います。

 一口に「夫の思いをわが思いとする」と言っても、それは決して簡単なことではありません。
 「夫婦の意見が異なるとき、最終的には夫の意見を尊重しましょう。それが幸福につながります」と講座でお話ししてきましたが、私自身、この原則を最初に学んだ時はすんなり受け入れられませんでした。統一原理で言う「主体」の意味を本当の意味で理解し生活化できていなかったのです。

 クリスチャンは、「教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである」(エペソ人への手紙 5章24節)という聖書の教えを家庭生活で実践しようと努めます。

 何年か前、ネット上でたまたま以下の一節を読んだ時は、衝撃を受けました。

 「牧師であり医師である相見三郎先生が、こう説いておられます。
 聖書に、夫には主(神)に仕えるように仕えなさい、と書いてある。だから、どんな夫にでも、主に仕えるように仕えなさい。あんな悪い夫には、主のように仕えられないなどと言ってはならない。いい夫だけに仕えなさいとは書いていない。それで、もし自分の夫が泥棒で、そこに見張りをしておれと言ったら、黙って見張りをしなさい。それを賢そうに、泥棒など悪いことだからやめなさいなどと言うと、それは主に仕えるように仕えていないことになる。
 そう、相見先生はおっしゃいます。ずいぶんひどいことを言うと思うかもしれません。でも、この先生のお話を聞いて、そのように心掛けた奥さんがたがみんな、夫婦関係が良くなったという体験を続々と発表しています」

 ここまで言い切るクリスチャンの信仰に感服するとともに、自分は何とご都合主義で、神のみ言(ことば)よりも己の思いを優先していることの多いことか、と反省したものです。
 この一節を皆さんにぜひ紹介したく、折に触れ出典を探してきて、先月ようやく見つけました。

 三浦綾子著『愛すること 信じること』。
 読んでみると良いアドバイスやヒントがたくさんありました。

 変えようとするのではなく、夫に尊敬の念を持ち続けていくと、夫は自然に変わっていく、と書かれています。