ほぼ5分で読める統一運動 73
「祝福結婚」推進運動の現代的意義

稲森 一郎

 1990年代以降、2000年代から現在まで、統一運動の大きな特徴の一つとして、祝福結婚の推進運動が顕著になりました。
 1992年の3万双祝福結婚式を皮切りに、大型の何百万、何千万という世界的な祝福結婚の挙式が毎年のように続いてきています。

 1993年728日、世界平和女性連合の総裁であった韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁は、アメリカの国会議事堂で「真の父母と成約時代」と題する講演を行いました。
 その講演の中で、韓総裁は現代世界の深刻な病状が何であるかを明確に語ったのです。

 「増加する離婚率の統計は、結婚に対しても責任感をほとんど感じていないことを意味しています。すなわち、父母は自分の子女に対して責任をもとうとせず、人間の尊厳性に対する感覚を全くもち合わせていない人たちは、自分自身に対する責任さえも取ろうとしません」(天一国経典『平和経』、1484ページ)

 離婚の増加が、結婚に対する責任感の欠如を表していると指摘したのです。
 さらに、以下のように述べています。

 「1960年代、理想主義的な若者たちは、愛と平和を追求するために、周辺に蔓延(まんえん)する物質主義を排斥しました。しかし、その過程で、彼らは道徳性と責任感まで捨ててしまいました。その結果として今日の社会は、麻薬と不倫、犯罪、そして自殺などにより苦痛を受けています。これらの中で、神様が最も胸を痛められているのは、フリーセックスによる性的な愛の誤用です」(天一国経典『平和経』、1484ページ)

 世界がフリーセックスの地獄に落ちて、人倫の根本である愛の神聖性が世界中から葬り去られる状態となっていると訴えたのです。

 1990年代の日本の状況を見ても、フリーセックスの蔓延は同じであり、アメリカに限ったことではありませんでした。

 中高生などの援助交際による堕落が社会的な問題となり、これを解決するためには小学生からの性教育が必要であるという性教育推進派の教育関係者たちが、声を大にして訴えるようになります。

 日本での性教育の本格的な推進は、性教育元年といわれる1992年以降ですが、性教育は飛躍的転換、すなわち性教育の過激化を招きます。

 性教育推進派の主張を過激に語った山本直英氏(人間と性教育研究所所長)は、臆面もなく「人間の手や足や口や頭などの獲得から始まった人権がとうとう性器にまで及んできた」などと述べ、「感動の極みで《人類最後の人権》と呼ぶことにした」とまで誇張して語り、「今後は個人の性器の多様化や個性化を認める方向で性器の人権化を極めていくことになりそうです」と、勝手な性教育の見通しを述べています。

 いくら何でも、思春期の男女(=中学生)をターゲットに性教育を熱烈に展開する動きが、性交の方法、避妊法(コンドームの使い方)などを積極的に教えたり、エイズ防止を謳(うた)い文句にしてセーフセックスを大いに推進したりと、中学生には「性の自己決定権」(いつ、どこで、だれと、性交するかは中学生の自由)があると吹き込むことにまで突き進む必要が一体どこにあるのかと、疑問視せざるを得ません。

 ホーリーマザー・ハン、韓鶴子総裁が、米国国会議事堂で語ったように、世界が性に関して深刻な病状を呈するようになったことに対して、統一運動は結婚の意義と価値、家庭の意義と価値を理解し、祝福結婚式に参加することこそ、性の問題の解決につながると主張します。

 結婚と家庭の意義と価値を知らない無知から、人類は不倫地獄に落ちてしまっているのです。