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ダーウィニズムを超えて 132

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第九章 科学時代の新しい神観

(二)統一思想による新しい神観

4)心情の神
—愛による創造—

3. 新しい創造
 統一思想は、神を心情の神として捉える。心情とは、愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動である。神は愛の神であるが、愛が概念として神の中にあったとしても、神には喜びはなかった。対象を愛するとき、初めて刺激的な喜びが得られるのである。したがって神は、愛する対象として人間を造らざるをえなかった。また人間のために、人間の愛の対象として、そして人間の生活環境として、宇宙と万物を造らなければならなかったのである。

 神はアダムとエバを造り、アダムとエバを愛して喜ぼうとされた。アダムとエバの成長を見つめて喜ばれる神であったが、それが究極の目的ではなかった。アダムとエバが成長して、結婚するとき、神はアダムとエバの夫婦の愛の中にひたって、愛の喜びを満喫しようとされたのである。さらにアダムとエバに子女が生まれて、アダムとエバが子女を愛するとき、神はアダムとエバの父母の愛の中にひたって喜ぼうとされたのである。そのようにして、神の愛も完成するようになっていた。しかし、アダムとエバの堕落によって、アダムとエバは愛を完成できず、したがって神の愛も完成できなかったのである。

 従来の神観において、神の愛はそれ自体で完全なものであるとされているが、統一思想の見解はそうではない。人間(男性と女性)が愛を完成するとき、神の愛は完成するようになっていたのである。宇宙・万物も人間のための愛の環境として造られたものであるから、人間が愛を完成するとき、宇宙・万物も完成するようになっていた。ところが人間始祖の堕落の結果、今日まで宇宙・万物も未完成のままになったのである。

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 次回は、「ロゴスの神」をお届けします。


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