愛の知恵袋 44
「学校だって愛の学校」でなければ——

(APTF『真の家庭』154号[8月]より)

関西心情教育研究所所長 林 信子

一枚のハガキ

 家庭は、愛し合った男女が結婚し、子供が生まれる。愛の結晶であるわが子を、かわいいと思わない親がいるだろうか?

 自分の子供を虐待したり、食事を与えなかったり——の親のニュースを聞くと、この親たちも、自分の親からの愛を受けていなかったに違いない——と、その連鎖に悲しみを感じます。

 先日、津波被害の現場に「何か役に立ちたい」と一人でかけつける多くの若者たちの姿をテレビで見て、日本に残っている、情(なさけ)と奉仕の精神と、実行するエネルギーに、まだまだ日本は大丈夫、と思いました。

 それに対して、一日一日が大切な今、政権争いの政府——とテレビに嫌みを言っている私に、7月はじめ、暑中見舞いの中に、私が最初に就職した小学校の卒業生のなつかしい、1枚がありました。

 「先生、私は孫にも毎晩、お話し聞かせてます」

小学校教師の思い出

 私は終戦後、満州から日本に引き揚げて、祖父母の住む岡山県で中学、高校へ。大学は京都、卒業と同時に岡山県の「超」僻地の小学校に赴任。1週間前に赴任した女の先生が、あまりの山奥で帰省した後釜でした…。

 3年生の担任。1級60名、マイクなしでワイワイ、ガヤガヤの児童を静かにさせるのは至難のわざでした。名簿を見ると、「父母を戦争中に失った子」「両親共働きで、1歳の赤ちゃんを、おんぶしての登校の子」「自閉症、名前を呼んではいけないと注意書きの子」「万引き常習の男の子(何かあれば校長を呼ぶこととある)」——。

 そこで、朝の出欠確認は、大声のクラス委員長にまかせました。委員長が「オーイみんな静かにせいや! また先生が困って帰っちゃうと、困るのはボクらよ。口を閉じて! 後ろ! 口を閉じろ!」。いっせいに静かになった——。授業は始まり静かに終わった……休み時間、またワーワー。まあいい。2時間目はまた静かに終わり、昼食時は全員話したがって、ワーワー。そこで「授業中、静かだったから、ごほうびに、お話をしてあげる」と言ったら、ワーッと拍手。

 5時間目、小泉八雲の「耳なし芳一」。みーんな、シーン。大丈夫、私は高校時代から演劇部だったのだ。次の日は、おシャカ様の「くもの糸」、3日目は「アラビアンナイト」。子供たちが家に帰ると話をするので、その頃からおばあちゃんたちも聞きにいらした。他の学年の子たちも大勢が窓からのぞいていました……。

 1学期の話で一番人気があったのは「ロビンソンクルーソー」と「ハムレット」だった。ハムレットが高いテラスの上で、なすべきか、なさざるべきか——「To be, or not to be」と悩む。低い声で天を仰ぐ。子供たちは真剣にきいてくれました——。

 1学期が終わり、2学期——委員長が「先生、お話みんな待ってたよ、今日から始めてね」「ええ、そう思っている」「今日の話、何?」「え、桃太郎」「何で? 桃太郎なんて、誰でも知ってるよ」「あんたたちが知ってるお話は、桃から生まれた桃太郎ね」「そうだよ」「先生の話は『桃を食べた桃太郎』」「まっ、聞くだけ聞くわ」

 その日から、お話をつくることを、子供たちに教えました——思いがけなく、子供たちは、面白い話、悲しい話をそれぞれが作って発表するようになりました。

受け継がれた「話」

 そして20年が過ぎ、岡山に帰った時、彼らが「恩師を囲んで」の会をしてくれました。30代の彼らはいい大人になっていた。驚いたのは彼らの職業。本屋が二人、本の編集者が一人、母親になった女の子たちは、私の話をしっかり覚えていました——その母親が今年は、孫に話をしてやっている——その一枚のハガキに私は泣きました。力を得ました。

 もう少し生きて、いい家庭づくりに協力しようと……。