facts_3分で社会を読み解く 87

ニューヨークで行われた信教の自由に関する国際会議(7)
「解散命令」の歴史的な背景

ナビゲーター:魚谷 俊輔

 去る81日から3日にかけて、米国・ニューヨーク市において、「宗教の自由に対する現代の脅威の根本原因を評価する」をテーマとする、第3HJI平和と公共リーダーシップ会議が開催された(「HIJ」とはHJ平和・公共リーダーシップ国際大学院のことで、かつての統一神学大学院を指します)。

 この会議の日本に関するセッションで筆者は、「日本における反統一教会運動」と題するプレゼンを行った。
 今回もその内容の続きである。

 なぜ今、家庭連合に対する「解散命令」なのか。
 その直接的な原因は、202278日に起きた安倍晋三元首相暗殺事件と、それが引き起こしたパニックにある。しかし「解散命令」に至るには、歴史的な背景があった。

 最も重要な要因は冷戦の終焉(しゅうえん)である。
 日本の著名な宗教学者の一人である島田裕巳氏は、統一教会を冷戦時代の宗教であると分析した。世界に起きる出来事を神の側とサタンの側の対決であると捉え、共産主義をサタンの側であると解釈する統一教会の神学は、冷戦時代には説得力があった。

 「保守勢力と勝共連合は、反共運動を展開するという点で共鳴し、特に、国内で共産党を批判し、その勢力を抑えることを目指してきた」(『新宗教 戦後政争史』島田裕巳著 朝日新聞出版 2023年、23ページ)

 しかし1991年にソ連が解体され、冷戦構造が終わりを迎えると、自民党を含む保守勢力にとって、勝共連合と統一教会の存在意義は相対的に低下したと彼は言うのである。

 自民党は基本的に保守政党だが、その中でもより保守的な派閥とよりリベラルな派閥がある。
 安倍氏が率いていた「清和会」は最も保守的な派閥であり、勝共連合と歴史的なつながりがあった。安倍氏の祖父である岸信介首相は勝共連合の発起人の一人であり、1973年に文鮮明(ムン・ソンミョン)師と直接会談したこともある。

 「清和会」は岸信介氏の後継者と目されていた福田赳夫氏を中心に1979年に結成された自民党の派閥である。
 1974年57日に東京の帝国ホテルで行われた「希望の日晩餐会」で、当時蔵相だった福田氏は来賓としてあいさつし、「アジアに偉大な指導者現る。その名は文鮮明である」という有名な言葉を残している。

 福田氏の後を継いで「清和会」を率いた安倍晋太郎氏は、安倍晋三氏の父親である。このように、安倍氏と統一教会には三代にわたるつながりがあった。

 一方、岸田氏の所属していた「宏池会」は自民党の中でもリベラルな派閥であり、「清和会」とは歴史的に党内のライバル関係にあった。
 安倍氏が暗殺された時点で安倍派は約100人の国会議員を擁していたのに対して、岸田派は40人程度であった。

 岸田首相は、安倍氏の意向を無視しては政権運営ができないため、安倍氏に依存すると同時に疎ましく思うという複雑な関係にあったのである。
 それが安倍氏の死去によって状況が一変した。


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