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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 29

死後の世界~霊界とは?

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第八章】影のない人生を生きる

 一般的に霊魂といわれているものを文鮮明先生は霊人体と名づけておられます。肉体と同じ機能と感覚を持っているからです。文鮮明先生の教えを体系的に整理した『原理講論』には、肉的五感と霊的五感の感覚は全く同じである、と記されています。前述の臨死体験のように、目で見る、耳で聞く、手で触りつかむ、足で歩く、体でよけるなどの感覚は変わらないというのです。そして心と感情があり、喜怒哀楽もあります。それどころか、腹が満たされる、腹が減る、喉が渇く、寒い、熱い、快適、不快などの生活感覚もあります。霊界にも、衣食住生活がこの世と変わりなくあるのです。

 この世では、生活の豊かさ、貧しさで格差が生じます。東京のど真ん中で高級マンションに住む人もあれば、貧しさと生活不安におびえて暮らす人もいます。霊人体にも同様の感覚があることは、霊界にも衣食住生活があることを意味します。霊界にも格差社会があるのです。労働するという意識すらなく、喜びに満たされて豊かな生活ができる世界を天国といい、この世と同じように労働して生活する世界を中間霊界といいます。そして労働する場所さえなく、飢えの苦しみのために餓死を望んでも死ねない地獄があります。

 霊界で永遠に幸福生活をするためには、天国に行くしかありません。他の霊界は死んでからも苦労し、苦しむ世界なのです。霊界天国の素晴らしい様相を、文鮮明先生は次のように語られています。

 「あの世の生活はどうでしょうか。食べる物も必要ありません。住むのも心配ありません。着るのも心配ありません。なぜでしょうか。自らの心霊のままに願うすべてのものが可能だからです。あの世でも食べます。あの世でも自分を触ってみれば、血管が脈を打つのが分かります。同じです。霊的な体ですが、同じなのです。私が『何々を食べたい』と思えば、すぐに現れます。『このような物を食べたい』と思えば、すぐに現れます」(『人間の生と霊魂の世界』204ページ)。

 では、天国に行くためには、何が必要なのでしょうか。お金でしょうか。この世では、豊かな衣食住生活をしようとすれば、お金が必要です。高級マンションで生活するためには、住宅資金、あるいは毎月の高額家賃が必要であり、それを払えれば、住めます。食事も豪華にできます。しかし、お金がなければ相応の生活しかできません。

 しかし、霊界は違います。お金は全く役に立ちません。だいいち、あの世に持って行けません。「地獄の沙汰も金次第」とは言いますが、そもそもお金を持って行けないのです。では、何が霊界の豊かさ、貧しさを決めるのでしょうか。

 それが真(まこと)の愛なのだ、と文鮮明先生は言われるのです。生きている時に身につけた愛の貧富が、霊界生活の貧富を決めるのです。愛の豊かな人は豊かな生活ができ、愛の貧しい人は貧しい生活しかできないのです。真の愛の力が、霊界では最高の力になり、すべてを可能にするというのです。したがって賢い人は、この世で真の愛を体得して天国に行く準備をするのです。真の人生とは、天国に行くために真の愛を体得する人生なのです。この世でお金などが必要なのは当然ですが、霊界への準備としては、真の愛を実践して体得することが重要なのです。

 「天の国に行けば金銀財宝があふれるほど散らばっているのに、地上から何を持っていくのでしょう。私たちが暮らしている世界より、もっと良い世界に行くと考えれば、地上のものに執着する理由がありません」(自叙伝、338ページ)

 そこで、神様は私たちが霊界天国に行くためのナビゲーターを心に設置してくださったのです。それが、私の内なる良心なのです。(続く)

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 次回は、第八章の「良心は天国を目指す」をお届けします。


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