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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 28

死とは何か

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第八章】影のない人生を生きる

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 死を語らないまま生を語ることはできません。生の意味を知るためにも、私たちは死とは何かを正確に知らなければなりません。どのような生が本当に価値あるものなのかということは、今すぐにでも死ぬかもしれない窮地に追い込まれ、一日でも長く生きようと天にすがりついて泣き喚(わめ)く、そのような人こそが知り得るものです。それほど貴い一日一日を、私たちはどのように生きればよいのでしょうか。誰もが渡っていかなければならない死の境界を越える前に、必ず成し遂げておくべきことは何でしょうか。

 最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです。何が罪なのかという問題は、宗教的に、また哲学的に多くの論争の種になりますが、はっきりしていることは良心が躊躇(ちゅうちょ)することをしてはならないという事実です。良心に引っ掛かることをすれば、必ず心に影が残るのです。(自叙伝、238ページ)

死とは何か

 人間は必ず死にます。避けることはできません。王様といえども避けられません。お釈迦(しゃか)様は出家して真理を探究しようとしましたが、父である王様がそれを止めました。その時、「もし、お父さんが、私が死なないと保証してくださるなら出家いたしません」と言ったそうです。

 一般的には、人間は肉体だけで生きていて、死は肉体の機能が停止して、消滅することだと思われています。目を閉じて意識が永遠に不明となり、「永眠する」とも言います。それが事実ならば、人生は肉体だけの一生なので、愛しても功労を立てても、ある意味ではむなしいことです。また、私利私欲に生きて罪を犯しても、死ねば無となるのですから、ある意味では「死に得」とも言えます。犯罪の犠牲になった人は「損」をしたことになります。

 あまりにも生きることがつらく、死に最後の希望を求めて自分で命を絶つ人さえいます。「死」の正確な意味がわからなければ、「生」の正しい意義もわからなくなるのです。

 文鮮明(ムンソンミョン)先生は、こう語られています。

 「死を語らないまま生を語ることはできません。生の意味を知るためにも、私たちは死とは何かを正確に知らなければなりません」(自叙伝、238ページ)

 では、「死」とは何なのでしょうか。そもそも人間とは肉体だけの存在なのでしょうか?

 文鮮明先生はそうではない、と断言されています。

 「人の霊魂は命を失ったからといって埃(ほこり)のように消えてしまうものではなく、霊魂の世界に行くのです」(同、212ページ)

 人間は肉体と霊人体の、二つの体を共有して生きている存在であり、死とは、霊人体が肉体から分離して永遠の世界である霊界に旅立つことを意味しているといわれます。文鮮明先生の教えを要約した『原理講論』には次のように記されています。

 「肉身は霊人体の衣といえる部分で、衣服が汚れれば脱ぎ捨てるように、肉身も老衰すればそれを脱いで、その霊人体だけが無形世界に行って、永遠に生きるように創造されたからである」(『原理講論』210ページ)

 数十年前から、医者が臨終を宣告したにもかかわらず蘇生(そせい)したという人の証言が公表されるようになりました。明らかに「死んでいた」(?)人が生き返って、その間の体験を証言するようになったのです。これを臨死体験といいます。一般書店にも置かれていますから、興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか? 

 不思議なことに、臨死体験者たちの証言には共通点があります。ある臨死体験者の証言によると、まず、「ご臨終です」と言った医者の言葉を聞いたそうです。これ自体、実に奇妙な話です。死んだら、耳が聞こえなくなると思われるからです。しかし、聞いたと証言しています。医者の臨終の言葉だけではありません。病室での医者、看護師、家族の話をすべて聞いているのです。

 そして、ベッドから起き上がってパイプの間を通り抜けて床に降りたといいます。パイプの間は20センチもありません。なぜ通り抜けられたのでしょうか? それから驚嘆すべきことに、天井に上昇したと証言しています。天井から自分の体や医者、看護師の行動を見ているのです。つまり、見える、聞こえる、動けるのです。

 床に降りてきた本人は、ドアを開けて走りこんできた看護師とぶつかりそう(?)になったので慌てて避けようとしたそうです。しかし避けきれずに体がぶつかってしまった、と思った瞬間、看護師の体が自分の体を通り抜けていったというのです。

 本人にとって不思議なこのような体験を経て、霊界と地上の境界線に行ったといいます。ある人は「向こう岸」と言い、ある人は「草原の柵」と言いますが、その向こうに他界した人々がいるのが見えるというのです。その柵を越えようとした瞬間、何かに引き戻されて、気がついたら蘇生したと証言しているのです。

 このような体験談を聞くと、お通夜、葬儀には本人がその場にいて、参列者を見守っているということになります。ですから、故人の悪口は絶対に言ってはいけません。間違いなく聞かれているからです。気分を悪くするに違いありません。事実、臨終と聞いた病室の外で臨終者(?)の悪口をひそかに言ったら、本人が蘇生してしまい、追及されたという証しもあります。

 では、死後の世界はどうなっているのでしょうか。(続く)

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 次回は、第八章の「死後の世界~霊界とは?」をお届けします。


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