コラム・週刊Blessed Life 47
縄文回帰

新海 一朗(コラムニスト)

 日本の人々が縄文時代をどのようにイメージしてきたかと言えば、遠い昔の原始的な時代、木の実を食べ、魚介類やイノシシを捕って食べていた時代が日本列島に長い期間あったという認識程度ではなかったかと思います。
 しかし、現在、考古学上の土器類その他の発見、人骨採取からのDNA鑑定など、多角的な視点から分析が的確に行われるようになって、相当イメージが変わってきています。

▲三内丸山遺跡(青森市)

 その主な論点を上げてみましょう。
 そもそも縄文人はどこからやってきたのか。いわば、原日本人とみられる縄文人の正体です。
 次に、縄文土器類に見られる芸術性の高さです。
 その土器に刻まれた模様は現代美術の持つ抽象性に通じるセンスがあり、縄文人がただ自然の恵みを頂いて素朴な暮らしを営んでいたなどというレベルの人々ではなかったということです。
 そして縄文時代の起源の古さとびっくりするほどの長期にわたる時代を形成し得た背景です。
 すなわち、戦争など大きな戦いが少なく、日本列島において人々は極めて平和であった、それゆえ、長い期間、北から南にかけて縄文文化は栄え、その中で、縄文芸術まで誕生する素地が十分にあったということです。
 他の地域の世界史の内容、すなわち、激しい戦いの歴史を刻んだ地域とは違う歴史が日本列島にはあったと見られる観点です。
 さらに、縄文人はただじっと列島に閉じこもっていたのではなく、列島内はもちろんのこと、周辺の大陸に住む人々や南洋の島々とも盛んに交易をする海洋性、すなわち、古代の船舶を建造し海上航路をうまく操縦する能力や技術にも長けていたということです。

 縄文時代の真実が明らかにされていくにつれて、現代日本人の民族性や習性の起源、あるいは、21世紀のこれからにおいて、世界平和に貢献する日本人の資質と能力の可能性など、縄文文化を尺度とする判断がうんぬんされる風潮が訪れるような気がしてなりません。いや、もう来ていると言ってもよいかもしれません。

 「縄文回帰」、この言葉が、最近、頻繁に脳裏を駆け巡ります。