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ダーウィニズムを超えて 128

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第九章 科学時代の新しい神観

(二)統一思想による新しい神観

(3)普遍と個物の統一

3. 統一思想の見解
 統一思想から見るとき、神の性相の内的形状の中に観念と概念がある。統一思想において、観念は具体的な表象、概念は抽象的、普遍的な表象であって、観念は個別的、概念は普遍的である。したがって神の心の中にある観念がすなわち被造物に対する個別相となる。ここで留意すべきことは、一般の哲学書においては、神の中にある普遍を観念と表現している場合が多いが、統一思想では、神の中にある普遍を概念、個物を観念と規定しているのである。

 神が人間を創造されるとき、アダムやエバの具体的な姿を描いておられたのと同時に、男と女とか、人間という抽象的、普遍的な考えももっておられたのである。ここに神の性相において観念と概念がばらばらにあるというのではない。神がアダムやエバの表象を描かれるとき、そこには個別性と同時に、男、女、人間という普遍性も含まれていたのである。すなわち神の性相において、個物と普遍、または観念と概念は統一されていたのである。

 神によって創造された被造物(存在者)は性相と形状の二性性相から成るが、性相においても形状においても個別と普遍が統一されている。例えばアダムは性格(心)においても体格においても、アダム特有の個性をもちながら、人間としての普遍性をもっている。ここで留意すべきことは、性相(心)の個別性と普遍性が主体、原因であり、形状(体)の個別性と普遍性は対象、結果であるということである。したがって質料(形状)が個別化の原理ではない。個別性は神の中にある観念から来るものであり、その観念が個体の性相(形相)に内在していて、形状(質料)をまとって現れるのである。

 ところで神は人間を創造されるとき、一人一人に独特の個性を与えられた。したがって人間の場合の個別相とは個人毎の個別相である。他方、万物に対しては、神は種ごとに個別相を与えられたのである。したがって万物の場合の個別相は種類別個別相である。

 神は個々の存在を愛して喜ばれるために、個物を構想し、創造されたのである。人間に対しては、一人一人から独特な喜びを得るために、個人ごとに個性を与え、万物に対しては個々の種から喜びを得るために、種ごとに個性を与えられたのである。万物は、神にとっては間接的な喜びの対象であり、直接的には人間の喜びの対象としてつくられた。したがって神が万物に与えられたのは種毎の個別相であるが、人間が万物を主管することによって、個々の万物が個性をもつようになりうるのである。スコラ哲学における普遍論争の推移とそれに対する統一思想の見解をまとめると図94のようになる。

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 スコラ哲学において、伝統的に、神の中には普遍があると見たのであり、神の中に個物があるという見解はスコラ哲学の末期の唯名論に至るまで現れなかったが、オッカムに至り、神の中にあるのは個物であって、普遍はないと極端な主張に走ったのであった。しかし統一思想から見れば、神の思惟においても、普遍性と個別性は統一され、被造世界においても、普遍性と個別性は統一されているのである。

 統一思想の立場から見るとき、近代の哲学において、個々の事実と特殊に重きを置く経験論の立場と、事物の中に普遍的な法則性を見ようとする合理主義・論理主義の立場が現れてくるが、両者は統一的に扱われなくてはならないという結論になるのである。

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 次回は、「心情の神——愛による創造——」をお届けします。


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