2025.09.11 17:00

死後の世界とは 2
『グラフ新天地』2003年9月号に掲載された特集記事を、編集部が再編集してお届けします。
死は終わりではなく、旅立ちの時
もし、人の生涯が、肉身の滅亡と共に終わるのであるとすれば、肉身を持って生きている時間だけが全てとなりますから、少しぐらいウソをついたり、人をだましたりしても肉身生活を楽しく生きた方が得ということになります。
「今が良ければいいじゃないか、死ねば全て終わりだ」という考えであれば、行きつく先は自己中心的な物欲主義、拝金主義となる恐れがあります。そうなると、子供に対する教育も、いかに多くの収入を得て、快楽的な肉身生活を送るかが主軸になるかもしれません。
善行を積めば天国(極楽)へ、悪いことをすれば地獄へという善悪に対する考え方があればこそ、「悪いことをしてはいけない。人のために生きなさい」と、しつけられるのです。
たとえ、そのことがはっきりと分からなくても、死後の世界があることを知らず知らずのうちに感じ、先人たちはこのような教育をしてきたのではないでしょうか。
生命は永遠であり、死後の世界は否定できません。臨死体験(次回、第3回に詳細)などで、霊界を垣間見た人もいます。その人たちの証言によれば、肉身から霊が抜け出し、空中に浮かぶ自分自身に気付くそうです。それは、ちょうど青虫がサナギになり、蝶(ちょう)となって飛び立つ光景に似ています。

サナギから抜け出す蝶のように
地上生活と死後の世界の関係は、ちょうど青虫と蝶の生活に例えることができます。もし、地上の青虫に意識があるとすれば、人間が地上生活に対して愛着を感じているのと同じように、それもやはり地上に愛着を感じて、青虫として永遠に生きることを願うでしょう。
ところが青虫が、やがてサナギとなり、いったん殻を脱いで蝶となれば、空中を自由に飛び交いながら、香りの良い花や甘い蜜を自由に味わうことができます。地上生活と死後の世界は、この青虫と蝶の関係に似ています。

文鮮明先生のメッセージ
永遠の愛に躍動する世界
●霊界は愛の世界
天国とはどのような世界かといえば、神様の愛の世界です。愛の空気を吸う世界です。どこに行っても生命が躍動しない所がありません。
霊界に行けば、影がなく、朝の日の光が永遠にあふれています。白い光があまりにも明るくて、紫色の光に変わるのです。銀の光、金の光に変わるのです。永遠なる真の愛の光です。
死んで霊界に行ってみなさい。一瞬に飛躍するのです。この制限された地球上とは次元が違います。制限された所では自由に動けませんが、あの世は次元が高い世界なので、何でもできる所です。
愛を中心として願いさえすれば、いつ、どこでも、全て得ることができるのです。
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次回は、「『夢』ではなかった臨死体験」をお届けします。