文鮮明師の生涯 4

 9月8日に迎える「文鮮明(ムン・ソンミョン)天地人真の父母天宙聖和」13周年を記念して、『グラフ新天地』2003年10月号に掲載された特集記事を、編集部が再編集してお届けします。

教会草創期
『原理原本』を執筆。統一教会創立。ご聖婚

▲草創期、祈る文師

 文鮮明師は韓国南端の釜山(プサン)で、19515月から1年をかけて、『原理原本』の執筆を始めました。

▲釜山・ポムネッコルの小屋の中で『原理原本』を執筆する文師。隣で鉛筆を削っているのは、弟子の金元弼(キム・ウォンピル)氏。
「文先生の筆記があまりにも速いので、鉛筆を削るのが間に合いませんでした」(金元弼氏談)

▲文師が書いた『原理原本』の1ページ目

 原理原本は、後に人類救済のための根本的真理としてまとめられる『原理講論』(統一原理)の前身となるものです。そこでは米軍が使い捨てたダンボールで家を建て、黙々と筆を執りました。

▲文師がつくった釜山・ポムネッコルの小屋

▲釜山時代、文師が祈った「涙岩」。聖地として、現在も多くの人が訪れる

 1954年51日、人類救済の真理を宣べ伝えるために、ソウルで「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)が創立されました。初代協会長は劉孝元(ユ・ヒョウォン)氏。伝道が進むと延世(ヨンセ)大学、梨花(イファ)女子大学の優秀な学生、教授たちも集うようになりました。そのため、危機感を感じたキリスト教会、大学、マスコミによる反対運動のために、言われ無き罪で文師と教会幹部たちが西大門(ソデムン)刑務所に拘束され、過酷な尋問を受けましたが、3カ月後に無実で釈放されました。

 このような迫害と試練が続く中、1960411日(陰暦316日)に文師と韓鶴子(ハン・ハクチャ)女史の聖婚式が挙行されました。416日(陰暦321日)には、弟子たちに対する初めての祝福結婚式(3家庭)が行われ、祝福の歴史が始まりました。

▲文師と韓女史の聖婚。1960411日(陰暦316日)、ソウル市龍山(ヨンサン)区青坡洞(チョンパドン)の旧本部教会で行われた


世界基督教統一神霊協会
 「世界基督教」とは、古今東西さまざまに分派していたキリスト教全体を表し、「統一」はその将来において一つとなる目的、「神霊」は神を中心とする善霊界をその背景に持つという意味、「協会」は将来、四散したキリスト教会が一つになっていく団体のことを指します。


【関連情報】
 「そうだったのか!人類一家族」でも、文鮮明師の生涯を動画で紹介しています。ぜひご覧ください。ご視聴はコチラから!

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 次回は、「米国の建国精神復興と国際共産主義との闘い」をお届けします。