文鮮明師の生涯 2

 9月8日に迎える「文鮮明(ムン・ソンミョン)天地人真の父母天宙聖和」13周年を記念して、『グラフ新天地』2003年10月号に掲載された特集記事を、編集部が再編集してお届けします。

青年期
イエスと出会い、人類救済への真理探究

 文鮮明師が育った韓半島(朝鮮半島)は当時、日本の植民地下にあり、韓国民は苦難を強いられていました。また世界の情勢を見ても、第一次世界大戦後にファシズムが台頭し、人類が争いと苦しみにあえぐ動乱の時代だったのです。

▲朝鮮半島に駐留する日本兵

 「なぜ、人間は戦争をし、奪い合い、争わなければならないのか! 解決する道はあるのか! 真理はあるのか!」と文師は真剣に考えました。そしてキリスト教と出合い、その解答を祈り求めました。16歳(数え)の時、山で深い祈りをささげていると、祈りの中にイエス・キリストが現れ、地上天国を実現するという神の願いと人類救済のための使命を文師に託したのです。

▲祈りの中で現れたイエス・キリストから、神のみ旨成就のための使命を託される

▲文師が学生時代に祈ったソウル市内の黒石洞(フクソクトン

 以後、文師は9年間にわたる神と人間の関係や人類救済の根本的な真理(統一原理)探究の道を出発しました。そして、1941年から4年までの期間は、日本の早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科に留学しました。

▲早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科に留学した頃の文師(後列中央)


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【関連情報】
 「そうだったのか!人類一家族」でも、文鮮明師の生涯を動画で紹介しています。ぜひご覧ください。ご視聴はコチラから!

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 次回は、「真理を伝え、迫害と苦難の中でも神を慰める」をお届けします。