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神様に愛された日 41

 『神様に愛された日』を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
 「私が出会った神様の真の愛」をテーマに家庭連合の教会員による応募作品から選ばれた証し(テスティモニー)をまとめた作品集。心が温かくなる証しの数々をBlessed Lifeでもお読みいただけます。(一部、編集部が加筆・修正)

(光言社・刊『神様に愛された日-48のテスティモニー』〈2010219日第2刷発行〉より)

第四章◆父母の愛

【幸せの記録40】
泣き崩れた母

 私が8歳のとき、弟を事故で亡くした。親の留守中、私が弟の面倒をみていたのであるが、つい友達との遊びに夢中になってしまった。その間に弟は池に落ち、死んでしまった。

 母が泣く姿を見たのは、このときが初めてであった。その姿を見て、私は自分が犯した過ちの大きさを実感した。

 それ以来、私は悩み続けることになった。最初は罪悪感にさいなまれていただけであるが、世の中の不幸な出来事をたくさん知るにつけ、「神様がいるのかいないのか、いるならぶん殴ってやりたい、いないなら自殺したい」と悩むようになった。

 この悩みは、統一教会に出会うことで一掃された。神様が存在すること、神様が人を救いたくても救えない理由が分かった。

 弟も消えたわけではなく、霊の世界で生き続けていることも知った。私は、地獄から天国に急上昇したような気分だった。

 やがて私も結婚し、3人の子供の親となった。

 娘が8歳になった年の、ある日曜日。子供たちを連れて実家に行った。その日は、たまたま私の誕生日であった。娘が母に手紙を渡した。その手紙を読んで、母は泣き崩れた。

 手紙には、幼い字でこう書いてあった。

 「おばあちゃんへ。きょうはパパのたんじょう日です。パパを生んでくれてありがとう。」

 母は、私以上に悩み苦しんできたのだ。自分が命を懸けて生んだわが子を突然の事故で亡くしたショック、幼い私に弟を預けてしまった後悔の念、息子の私が悩み苦しむ姿を見る苦しみ――。

 そして、そんな思いを微塵(みじん)も感じさせずに、私をここまで育ててくれたのだ。

 きっと神様も母と同じような、否、それ以上の思いで、わが子である人類を見つめてきたに違いない。

 そんな親心にまで気づくことができず、

 「私は悩み苦しみから解放され、幸せな家庭を築いた」

 と喜んでいた自分が、恥ずかしかった。

 くしくも私が悩み始めた年齢になった娘を通して、神様の愛の偉大さ、母の愛の偉大さを教えられた。

(男性 45歳)

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 次回は、「破壊されることのない宝」をお届けします。


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