至誠感天 家和万事成 171
犠牲の祭祀

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※本文中、各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の巻数とそのページ、または、み言を語られた日付を示しています。

(光言社・刊『至誠感天・家和万事成』より)

第三章 信仰生活の四大指針

第三節 献金生活の生命化

(一)真のお父様の万物観①

 今日、この地上に広がっている万物は、とてもかわいそうな立場にいることを、皆さんは知らなければなりません。

 神様の希望の中でつくられた万物だったのであり、神様があらゆる精誠をすべて込めてつくった万物でしたが、人間が堕落することによって、万物は、人間の代わりに贖罪(しょくざい)の過程を経なければならなかったのであり、悲しく犠牲にならなければなりませんでした。

 人を祭物にして祭祀(さいし)を捧げることはできないので、万物を祭物とし、犠牲の祭祀を捧げてきたというのです。(162591966.6.19

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 明日は、「祭物とは何か」をお届けします。