2025.06.29 17:00
スマホで立ち読み Vol.37
『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』14
阿部美樹・著
スマホで立ち読み第37弾、『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』を毎週日曜日(予定)にお届けします。
本書は、愛天愛人愛国が生活の中で実践できるようにまとめられた一冊です。
---
第7章 個人主義から関係主義へ(前)
これまで「愛天生活」について説明してきましたが、ここでは「愛人生活」の意義についてお話しします。愛人生活とは、隣り人を愛し、人類を愛する生活を意味します。
聖書の中に次のような聖句があります。
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ22・37~39)
「神を愛せよ」という第一の戒めが「愛天」であり、「隣り人を愛せよ」という第二の戒めが「愛人」だと言うことができます。
神様は生命の源泉、愛の源泉、幸福の源泉です。その神様を愛することを土台にして、次は隣り人を愛することが大切になります。人間は、「人の間」と書くように、人との関わりを通じて生活するようになっています。人間だけでなく、宇宙、自然は全て「主体と対象のペア・システム」という関わりから成り立っています。雄と雌、雄しべと雌しべ、男性と女性のペア・システムというセットです。私たちの体も至る所がセットです。目を見ても両側に二つあり、セットになっています。耳も両側に二つ、セットです。手も二つ、足も二つ、セットです。口は一つですが、上唇と下唇で食べたり話をしたりするようになっています。このように体の至る所がセットです。
しかし、二つといってもバラバラに動くのではなく一緒に動きます。物を見るときは両目で、聞くときは両耳で、拍手するときは両手で、走るときは両足でするように、一緒に動きます。体の機能は、二つのものが一つになっているときに最大の能力を発揮するように創られています。
正に、「二つが一つ」になって存在しているということです。二つが一つになることを「統一、調和」と言います。人間も一人で生きているようですが、一人で生まれてきた人はいません。一人で子供を生むこともできません。正に、人間は「関係性」を結びながら存在しているということです。
では、なぜ全てがペアになっているのでしょうか。神様がそのように創ったと言えますが、なぜそのように創られたのでしょうか。それに関する文鮮明(ムン・ソンミョン)先生のみ言(ことば)を紹介いたします。
すべての被造万物はペア・システムになっているのです。鉱物世界もそうであり、動物世界もそうであり、人間世界もそうです。なぜ主体と対象になっているのですか。真(まこと)の愛の完成のためです。主体なくしては愛を中心として完成できません。公式です。(八大教材・教本『天聖経』「宇宙の根本」1574ページ)
神様は全知全能であるが、愛だけは、いくら持っていても、一人では感じることができない。愛には必ず相手が必要である。愛は相手を通じてのみ感じることができる。(『天地の大道』188ページ)
ペアになっているのは「真の愛の完成」のためです。夫婦というペアが一つになること、親子というペアが一つになること、兄弟というペアが一つになること、友達というペアが一つになることこそ、愛の完成です。愛は一人では成り立ちません。愛は相手を通して味わうものであり、相手を通して成長するのであり、相手を通して完成するものです。
愛なる神様であっても、おひとりでは愛を完成させることはできません。だから、愛の対象として人間を創造したというのです。これが創造の動機です。人間も同じように、愛を味わうために相手を求めるようになっています。生まれた瞬間から親を求め、子供の立場で親子の愛を体験し、少し大きくなると兄弟姉妹との関係で兄弟愛を体験し、友達との関係で友情を体験し、思春期になったら異性を求めて結婚し、夫婦関係から夫婦愛を体験するようになります。さらには、子供の誕生を切に願って親の立場で親子の愛を体験するようになります。
(続く)
---
次回は、「個人主義から関係主義へ(後)」をお届けします。