2025.06.22 17:00
スマホで立ち読み Vol.37
『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』13
阿部美樹・著
スマホで立ち読み第37弾、『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』を毎週日曜日(予定)にお届けします。
本書は、愛天愛人愛国が生活の中で実践できるようにまとめられた一冊です。
今回は、前回の続きからお届けします。
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第6章 礼拝を捧げる(後)
礼拝を捧げる時間を簡単に考えてはいけません。怨讐(おんしゅう)と一騎打ちするよりも深刻な時だというのです。目に見えないサタンとの闘いですから、曖昧な心ではサタンを分立することはできません。また、神様を訪ねて侍るので、「心情の礼服」を着なければならないとあります。心の襟を正して臨むということです。ですから、礼拝に参加するまでの準備が大切です。祈りや訓読、み言(ことば)の実践など、日々の生活が礼拝に向けた準備の生活にならなければなりません。
礼拝に臨む姿勢について、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生はこのように語っておられます。
皆さんは、聖日礼拝(日曜礼拝)の時間のために、三日前から心を引き締めながら準備しなければなりません。そうして、万民の幸福を祈ってあげ、私を通して万民が蘇生(そせい)できる復活の権限と生命の因縁を連結させようと身もだえしながら教会の門を入ってこなければならず、神様の前に心を締めつけられるような思いで礼拝に参席しなければなりません。(『至誠感天・家和万事成』137ページ)
礼拝に参席するために心の準備をして臨みましょう。礼拝には必ず参加しなければなりません。礼拝時間に遅れてはいけないし、その時間は絶対視することが大切です。神様と出会う約束の時間に遅れていいのでしょうか。礼拝時間は神様と出会う公的な時間だという意識が大切です。神様に捧げる礼拝時間を大切にする人の人生は、神様が正しく導く人生となります。その瞬間が未来を決定します。神様と共にある人生となるためには、礼拝を大切にすることです。天運の源泉、幸運の源となる神様の心情と一つになることは最も大切なことだからです。
では、礼拝を通して私たちがどのような人になることが重要なのでしょうか。何を目指して礼拝に参加するのでしょうか。神様と一つになるためには、神様の、そのような心情と願いを知る必要があります。
文鮮明先生のみ言を紹介します。
安息日を聖なるものとして守る目的は、神様が願う国を建て、人類を救うことでなければなりません。キリスト教が安息日(聖日)を守ってきたのは、この日を聖なるものとして守ることにより自分自身が昇華され、自分自身を思う、すなわち救いという目的に重点を置いたためです。私たちが安息日を守る目的は、自分の救いの道を促進することでもありますが、さらに進んで全体を救い、今後神様の摂理である国と世界を救うという目的に、より重点を置いているのです。これが、より高い責任をもつ神様の願いであることを知らなければなりません。(八大教材・教本『天聖経』「礼節と儀式」1001ページ)
礼拝を通して自分自身が生まれ変わる、救いを受けることは、当然重要です。しかし、礼拝のゴールが個人的な内容だけではいけません。み言の中心が「ために生きる」という真の愛の実践にあるわけですから、ために生きる心を持って臨む必要があります。個人よりも家庭のために生きる道、家庭よりも国のために生きる道、国よりも世界のために生きる道、さらには神様のために生きる道を歩むことです。
天理、天道にかなった生き方とは、より公のために生きること、より大きな善のために生きることです。礼拝に参加しながら、そのような心を持って「神様が願う国を建て、人類の救い」を目指すことが大切です。より大きな責任を持とうとする心こそ、神様を愛することであり、神様に親孝行することとなります。神様の抱える大きな責任、大きな課題を「私が責任を持とう!」「私が解決しよう!」という姿勢こそ、神様を慰労し解放することができるでしょう。神様に恵みをもらおうとする信仰生活よりも、神様を慰労し解放してさしあげたいという心こそ、より本質的な信仰生活と言えるでしょう。
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次回は、「個人主義から関係主義へ(前)」をお届けします。