スマホで立ち読み Vol.37
『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』10

阿部美樹・著

(光言社・刊『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』〈2014115日初版発行より)

 スマホで立ち読み第37弾、『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』を毎週日曜日(予定)にお届けします。

 本書は、愛天愛人愛国が生活の中で実践できるようにまとめられた一冊です

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第5章 み言を訓読する(前)

 神様を愛し敬う生活には、祈りや瞑想(めいそう)、報告、敬拝などを通して行う方法がありますが、それ以外にも「み言(ことば)を訓読する生活」があります。み言で現れた真理の神様と一つになる精誠が、み言を読むことです。み言を読むことを「訓読」と言いますが、み言の訓読は信仰生活の基本です。

 聖書には、次のように言葉の大切さを強調している聖句があります。

 「初めに言があった。言は神と共にあった。……この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」(ヨハネ113

 「この言は初めに神と共にあった」とあるように、神様は「言」として顕現するということです。また、この世の中は神様が造られましたが、何によって造られたのかというと、「言」によって造られたのです。このように、言葉が大切なのです。

 人間は神様の子女として、神様と同じように「言葉を操る能力」が備わっています。例えば、肯定的な言葉を使うならば、人生が肯定的な人生となり、否定的な言葉を使えば、否定的な人生となります。汚い言葉を使えば、汚い人生となり、美しい言葉を使えば、美しい人生になるのです。正に、人生は「言葉」によって創られるということです。神様の喜ぶ言葉を使えば、神様と共にある人生となり、サタンの喜ぶ言葉を使えば、サタンと共にある人生となります。

 人間始祖アダムとエバの堕落は、神様の言葉ではなく、サタンの言葉を信じたことから出発したように、人間の幸、不幸を決定するのが「言葉」であるといってもいいでしょう。『原理講論』では、人間が成長、完成するためにしなければならないことを、以下のように明確に説明しています。

 「創造原理によれば、神の責任分担として創造された人間は、それ自身の責任分担として神から与えられたみ言を信じ実践するとき、初めて完成されるように創造されたのである」(『原理講論』216ページ)

 神様は、人間を自らの責任で「み言を信じて実践する」ことによって完成するように設計し、計画し、造られたのです。人間の側から見るならば、人間は正しい言葉を自分の責任で信じ実践することで自らを自己創造し完成させるようになっているのです。

 「み言を信じ実践する」ための基本が「み言を読む」ことです。読むことによって、心の中にみ言の種が蒔(ま)かれるのです。これを「訓読会」と言います。

 「訓読会」とは、どのような意味なのか、意味は知っているでしょう?(はい)。「訓」という字は、“み言が流れる”という意味であり、「読」という字は“み言を売る”という意味です。よって、み言が流れていき、無限に拡張しなければならないことを教える会が「訓読会」だというのです。

 これ(言べん)は“み言”であり、これ(つくり)は“川”です。ですから、“水が流れてこそ死なない”というのです。流れる水は、生命の起源になるのです。み言が流れ、伝統が連結されなければなりません。小さい所から大きい所、大きい所から海へと流れ、こうして水蒸気になり、雨となって降りてきて万物が蘇生(そせい)するのです。19991024日 米国・ベルベディア)

 このように、水が生命を生かしながら限りなく広がっていくように、み言も生命を生かしながら限りなく広がっていくようになります。そのような場が「訓読会」です。

 訓読会に関するみ言をもう一つ紹介いたします。

 皆様は、今からまず皆様の家庭から上記に列挙した教材・教本を中心として訓読会の伝統を立てなければなりません。一つの家族三代が新しい一日を始めるに当たって、まず天のみ言を訓読し、新しい心で訓読の人生を実践する伝統を立てなさいというのです。霊界と肉界が同時に真(まこと)の父母様に侍り、同じ天道のみ言を毎日訓読する世の中をつくろうということです。このようになれば、いくらサタンが皆様の血統に乗じて蠢動(しゅんどう)するとしても、訓読会の伝統の前では立つ場がなくなるのです。(『天地人真の父母定着実体み言宣布大会』5759ページ)

(続く)

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 次回は、「み言を訓読する(後)」をお届けします。



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