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誤解されたイエスの福音 32

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「誤解されたイエスの福音」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 パウロのイエス観は果たして正しかったのか。イエス・キリストの再臨期を迎えた今、聖書の記述をもとに徹底検証します。

野村健二・著

(光言社・刊『誤解されたイエスの福音』〈2011111日初版第1刷発行〉より)

おわりに

 キリスト教からイスラーム(イスラム教)に改宗した者にその理由を聞くと、その理由の第一は、イスラームがアラビア語の唯一なるクルアーン(コーラン)を1400年間信じてきているのに対し、キリスト教ではさまざまな聖書の翻訳があり、聖書の解釈に対してお互いを批判し、戦っているからだというものでした。

 イスラームの聖典クルアーンは、ムハンマド(マホメット)が啓示されたことをそのままアラビア語で語り、それを聞いた者がそれをそのまま書き写し、それを他の言語に訳すことを許しませんでした。そのため異説の出る余地がありません。それに対して、キリスト教の聖典──新約聖書に書かれているイエスの言葉は、イエスが語られたことをそのまま書き写したものではなく、イエスの死後、少なくとも三十数年以上もたってから書いたもので、すべて「伝承」「口伝」であり、受け容れられやすいように書くという配慮も多少加わっているようで、イエスの言行を中心に書いた四福音書の内容も互いに完全に一致しているとは必ずしも言えません。

 さらにその後に、イエスの教え(福音)をここで説明したように、ほとんど何も知らずに独断的に書き記したパウロのいくつもの手紙が載せられています。したがって、それらを読む者の受け取り方がさまざまに分かれる可能性が初めからあり、そこで相互批判や論争が起こらなかったとしたら、そのほうが不思議だと言わなければなりません。

 キリスト教からイスラームへの改宗の理由の第二は、本書で論じた三位一体の教義だと言われます。

 逆に、イスラームからキリスト教に改宗した人たちに聞くと、その改宗の理由は、イスラームの教理には神について99の表現をしますが、いずれも「強力な神様、恐ろしい神様、審判の神様」を強調するものばかりで、「愛の神様についての教えがない」し、「熱心に信仰をしても、天国に行けるという保証がない」ことだったと述べたそうです。

 この点については、パウロの「イエスをキリストと信じる信仰」によって救われるという信仰義認の教えと、パウロが知っていた「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ2239など)というイエスの第二の愛の教えに、パウロがおそらくはよく知らなかった「神を愛せよ」(マタイ223738 など)という第一の愛の教えを加えて、この愛と信仰の両面によって救われると説くことで、その欠陥が最終的に補正され、イスラームとキリスト教との合理的和解と統一がなされると見るべきでしょう。

 しかし、ここで述べたことは単なる要点にすぎません。実際の個々の問題の解決のためには、さらにもっと具体的に問題の細部を掘り下げてみることが必要だと思われます。

 詳細は『原理講論』『統一思想要綱』『天聖経』などを参考にしていただきたいと思います。

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 「誤解されたイエスの福音」は、今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。


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