スマホで立ち読み Vol.37
『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』8

阿部美樹・著

(光言社・刊『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』〈2014115日初版発行より)

 スマホで立ち読み第37弾、『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』を毎週日曜日(予定)にお届けします。

 本書は、愛天愛人愛国が生活の中で実践できるようにまとめられた一冊です

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第4章 家庭祭壇を設えて侍る(前)

 愛天生活とは、神様を信じることよりも、神様を愛することを強調します。神様を畏れ敬う生活よりも、神様を愛する生活を基本とします。具体的にはどのような違いがあるのでしょうか。

 文鮮明(ムン・ソンミョン)先生のみ言(ことば)を紹介いたします。

 最初は、み言をもって信じる時代であり、その次は、み言をもって実践する時代であり、その次にはみ言を中心として生活する時代です。生活時代に入っていくのです。天国にしようとすれば、これがすべて一致しなければなりません。信仰の時代、実践の時代、生活の時代、このように発展するのです。(『御言訓読と霊界動員』75ページ)

 神様の摂理とともに、私たちの信仰生活における指針も変化していきます。「信じる時代」、「実践する時代」、「生活する時代」へと変化していくのです。

 神様を信じ、み言を信じる段階が第一段階です。初めは分からないし、実感もないので信じるしかありません。信じることによって救われるということです。

 次には、み言を信じるだけでなく、信じて実行していく段階が第二段階です。実践することで自分のものとなり、み言の実体に近づき、神様の似姿になっていくのです。さらには、生活の時代へと移り変わっていきます。一時的に信じて実践するのではなく、神様と常に共に生き、神様と同居し、神様と生活を共にする時代です。

 み言を紹介いたします。

 「信仰」というのは、神様に侍る生活、侍りながら一緒に暮らす生活です。これをいつも考えていなければなりません。信仰生活は、天をお迎えして一緒に暮らす生活です。(『愛天愛人愛国-真の愛の生活信条』25ページ)

 信仰生活とは神様と一緒に暮らすことであり、神様に侍ることです。ここでいう「侍る」とは、「仕える、従う、指示命令を受け止める」という主人に仕える「忠の精神」というよりも、「親孝行する、親を喜ばせる、親を中心として生きる」という、親に対する「孝の精神」が基本となります。忠の精神で主人に侍るというのは、出掛けていって実践するというイメージですが、孝の精神で親に侍るというのは、出掛けていくというよりも、親を迎えて、親と一緒に暮らすというイメージです。信仰生活は「信じること」「実践すること」がゴールではなく、「生活すること」「侍ること」がゴールになるということです。信仰が生活になり、生活に根ざした信仰となることが大切です。

 では、神様と共に生活し、神様に侍るためには、何を準備しなければならないでしょうか。家庭に親を迎えるためには、休む部屋や安息できる環境が必要であるように、神様を迎えるための聖なる場を準備しなければなりません。それが「祭壇」です。教会に神様を迎えるためには、教会に祭壇が必要であり、家庭に神様を迎えるためには、家庭に祭壇が必要だということです。

 祭壇に関するみ言を紹介します。

 皆さんが家庭をもったとすれば、必ずそこには神聖な聖所がなければなりません。昔、エルサレムの聖殿に聖所と至聖所があったように、至聖所のような、実際に侍る所をつくらなければなりません。(同25ページ)

 祭司長になろうとすれば、聖殿がなければならず、祭壇がなければならず、民がいなければなりません。祭壇は民のためにあるものであり、祭物と祭司長は天地のためにあるのです。ですから、今から皆さんは、祭司長の位置に行かなければなりません。(『御言訓読家庭教会と神様の祖国創建』46ページ)

(続く)

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 次回は、「家庭祭壇を設えて侍る(後)」をお届けします。



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