スマホで立ち読み Vol.37
『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』7

阿部美樹・著

(光言社・刊『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』〈2014115日初版発行より)

 スマホで立ち読み第37弾、『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』を毎週日曜日(予定)にお届けします。

 本書は、愛天愛人愛国が生活の中で実践できるようにまとめられた一冊です

 今回は、前回の続きからお届けします。

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第3章 祈りと瞑想(後)

 このような祈りを通した神様との交流の方法がありますが、ほかにも「瞑想(めいそう)」という方法があります。瞑想は、心の内なる神様と静かに交流することです。

 瞑想に関する文鮮明(ムン・ソンミョン)先生のみ言を紹介いたします。

 信仰生活をする人には瞑想の時間が必要なのです。良いことを思い描きつつ瞑想をしなさいというのです。瞑想をするときは、心の門を開け放ち、心を丸くして、神様ならば神様を中心として、神様の本性と私の本性が完全に授け受けできるように、春の季節に該当する人であれば春の季節の主体であられる神様と共にその性稟(せいひん)が、完全に共鳴できる心の姿勢をもたなければなりません。197127日、韓国前本部教会)

 このように、瞑想を通して神様の本性と私の本性が、授け受けすることができるということです。本然の人間は、心が主体となり対象である体を主管するようになっていました。しかし、堕落人間は反対に体に心が主管されたり、身の回りの環境によって心が振り回されたりしやすいものです。そこで、心に力を与え、体や環境を正しく主管することができるようにするために瞑想が大切なのです。

 複雑に絡まった心、バランスを失った心、正しい方向性を失った心を本然の姿に戻す働きをします。乱れた心を、瞑想を通していったん無の状態にリセットするかのように、静かに沈めていきます。例えるならば、荒波のような心の状態を、静かな湖面のように安定させていくことです。黒板にいっぱい書き込まれた文字をいったん消して、きれいにすることです。このように、心のリセットができれば、願いや夢など良いことを思い描きやすくなり、実現しやすくなります。正に、心の中で天国を抱いて生活する人になるということです。

 瞑想に関して、もう一つみ言を紹介いたします。

 心を明るくし、清めようとすれば、世の中の喧噪(けんそう)を離れて、私と私の心、この二つだけが対面する時間が必ず必要です。とても孤独な時間ではありますが、心と親しくなる瞬間こそ、私自身が心の主人になる祈りの場であり、瞑想の時間です。周囲の騒々しさを退けて、心を静めていけば、心の中の最も深い所が見えてきます。心が落ち着くその深い場所まで降りていくためには、多くの時間と労力を注がなければなりません。一日でできることではありません。(『平和を愛する世界人として―文鮮明自叙伝』235ページ)

 このように、瞑想を通して心の中の最も深い所が見えてくると、私自身が心の主人になることができるのです。具体的に言えば、心の中にある「良心」との出会いです。良心は私たちの心の中に住む「第二の神様」です。人間には先天的に、神様の完全なる対象になろうとする自立的な心、すなわち、神様の前に絶対的相対になろうとする心が存在しています。それが「良心」であり、神様はこの良心の根として個々の人間とつながっているのです。

 前述のみ言の中に、「私と私の心、この二つだけが対面する時間」という表現がありました。さらに、「心と親しくなる瞬間」「心の中の最も深い所」という表現もありました。これは私と私の中にいる良心との対面であり、交わりです。瞑想を通して、良心に耳を傾け、心を合わせることを通じて、心が正されるのです。

 良心は、間違った方向に行こうとする私自身に「良心の呵責(かしゃく)」を通してブレーキをかけてくれたり、行くべき方向を見失ったときには、道先案内の役割をしてくれるのです。しかし、それを無視したり、裏切ったりするので人生が難しくなるのです。いま一度、そのことに気づき、悔い改め、感謝することが大切です。

 静かに沈黙し、心の内なる神様に耳を傾けるならば、新しい気づきと発見と悟りを得ることができるでしょう。私たちの人生は活動と休息の繰り返しで成り立っているように、忙しく、慌ただしい生活をしているのであればあるほど、静かに立ち止まって心を見つめる時間も必要です。正に、動と静のバランスを保つことが大切です。

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 次回は、「家庭祭壇を設えて侍る(前)」をお届けします。



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