2025.05.04 17:00
スマホで立ち読み Vol.37
『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』6
阿部美樹・著
スマホで立ち読み第37弾、『きょうからできる愛天愛人愛国の生活』を毎週日曜日(予定)にお届けします。
本書は、愛天愛人愛国が生活の中で実践できるようにまとめられた一冊です。
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第3章 祈りと瞑想(前)
幸せな人生、充実した人生、天運のある人生を歩む基本、土台になるのが、「天を愛する」ことです。天を愛するのに最も重要なことは神様と交流することです。その神様との心のやりとりが「祈り」です。古今東西、いつの時代もどこの場所でも、人間が欠かさず大切にしてきたのが「祈り」です。たとえ、神様を信じないと断言する人であっても、生死の岐路に立たされるような局面に遭遇すると、人間は「神様!」と手を合わせたくなるものです。これは人間の本性として備わっているものであり、本心は神様を求めるようになっているからです。
正しい人生を歩もうとするならば、善の主体である神様に心を向けなければなりません。愛ある人生を送ろうとすれば、愛の主体である神様に心を合わせなければなりません。自分にふさわしい人生、自分らしい人生を歩むためには、生命の源泉である神様のみ意(こころ)を知らなければなりません。
文鮮明(ムン・ソンミョン)先生の祈りに関するみ言(ことば)を紹介いたします。
たくさん祈れば、一人で生活していても絶対に寂しくありません。祈りは、呼吸するのと同じです。祈りをたくさんすれば、霊的に明るくなります。また、鋭敏になり、善悪に対する分別力がつくのです。(『愛天愛人愛国-真の愛の生活信条』34ページ)
このように、祈りは「霊的な呼吸」だと言えます。生きるために最も必要で不可欠な要素が「呼吸」です。食事は大切ですが、一日食事をしなくても死にはしません。しかし、呼吸は、わずかな時間しなかっただけでも死んでしまいます。また、浅い呼吸や速い呼吸は、不健康な人の呼吸であり、深い呼吸やゆっくりとした呼吸は健康的な人の呼吸であると言われます。正に、呼吸が生命の維持に直結しているように、心の平安、心の安定、正しい心の維持など心の管理をするためには、霊的な呼吸である「祈り」が不可欠だということです。
もう一つ、祈りに関するみ言を紹介いたします。
愛を実践させる刺激を連続させるためには、祈りが必要です。ですから、祈りというものは、愛を実践するために必要なのです。祈りには、求める祈りがあり、報告の祈りがあります。求める祈りは決意の祈りであり、報告の祈りは感謝の祈りにならなければなりません。それが連続的に私を刺激します。それで祈りが必要なのです。(同31~32ページ)
豊かな人生を生きるためには、愛する生活が大切ですが、誰もが愛の実践を継続することが課題となります。いっとき、真心を込めて愛したとしても、継続するどころか反対に要求の思いが湧いてきたり、愛する力を失うことがあります。根本的には愛の主体である神様との連結が大切です。正に、祈りは愛する心を“充電”するようなものです。
また、祈りには「求める祈り」と「報告の祈り」があります。「求める祈り」とは、「幸せにしてください」「恵みを与えてください」「助けてください」と、御利益を求める祈りです。その場合、「信じて取り組みます」「愛を実践します」「正しく生きます」という決意が伴わなければならないということです。「人事を尽くし天命を待つ」という言葉のように、神様の大きな恩恵は、人間の責任分担が果たされたときに与えられるものだからです。
また、「報告の祈り」とは、現状報告や現状を分析する祈りだけではありません。ましてや現状に対する不満や批判の思いをぶつけるものでもありません。決意や誓いに対する結果報告です。神様に祈ったとおりに歩めたのか、歩めなかったのかを報告することです。できたのであれば、神様への感謝を捧げ、できなかったのであれば悔い改めと謝罪の祈りを捧げるべきです。
私たちが祈ったことに対して、神様は忘れることなく、見守り導いてくださいます。問題は私たち人間が自分の祈ったことを忘れたり、心が変わったり、行動が伴わないことが多いということです。目に見えなくても、片時も忘れず見守ってくださる神様を意識することが大切です。
(続く)
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次回は、「祈りと瞑想(後)」をお届けします。