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誤解されたイエスの福音 28

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「誤解されたイエスの福音」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 パウロのイエス観は果たして正しかったのか。イエス・キリストの再臨期を迎えた今、聖書の記述をもとに徹底検証します。

野村健二・著

(光言社・刊『誤解されたイエスの福音』〈2011111日初版第1刷発行〉より)

第二章 イエスの本来の使命

六、イエスの再臨をめぐって

イエスは天の雲に乗って再臨されるか
 さて、イエスの再臨がこのように、①地上で、②イエス以外の代理人、それも、③ユダヤ人ではなく韓国人(文鮮明〈ムン・ソンミョン〉師は北朝鮮平安北道定州に出生)によって遂行されたと主張すれば、聖書の記述を全くそのままに受け取るクリスチャンは、多分次のように反問してこられることでしょう。

 使徒行伝を見ると、イエスが復活後、40日たったとき、弟子たちがイスラエル復興のときは「この時」かと質問したのに答えて、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知るかぎりではない……」と言い終わると、「イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」。そこで、彼らが天を見つめていると、「白い衣を着たふたりの人が、……『……天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう』」と言った(使徒1611)ではないかと。

 また、福音書にも、終末と再臨について異口同音に、「そのとき、……力と大いなる栄光とをもって、人の子(イエス)が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」(マタイ2430、マルコ1326、ルカ2127)と書かれている。

 さらに、ヨハネの黙示録にも、「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう」(黙示録17)。

 これらの記述がこれほどまでに、一致しているところから見れば、①イエス自身が、②雲に乗って来られるということは全く疑いを差しはさむ余地がないのではないかと。

 実際、パウロはさらに夢を膨らませて、「生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(テサロニケⅠ41517)と明言しました。

 実際、1918年の第一次世界大戦の終結、1948年のイスラエルの国家再建以後は、再臨期に入ったと見る者が多く、世界の至る所で、イエスの空中再臨を迎えようという霊的なクリスチャンたちの運動が活発に行われるようになりました。例えば、れっきとした科学技術者、NASAのロケット工学者のエドガー・ワイズナントが、88の理由を並べて、「もう間もなくイエスが再臨し、信者をこの世から連れ出し(いわゆる携挙〈けいきょ〉)、それから反キリストが台頭してこの世は終わる、とする著書を出版し」(バート・D・アーマン『破綻した神 キリスト』柏書房、270頁参照)、大きな反響を呼んだと言われます。

 その理由の一つは、マタイによる福音書2432節にある“いちじくの葉が出る”というのがイスラエル国家の再建を意味し、その年から聖書で一世代40年後が1988年で、そのほか88の理由から、「今のこの世は19889月、ユダヤの新年祭(ロシュ・ハシャナ)の間に終わる」と信じたようです(統一思想は「40年」という数値は原理数として重要なものだと認めますが、その期間に神が認めうる愛と償いの条件を立てない限り、「期間」だけ過ぎても何も生じるはずがないと見ます)。もちろん、予告されたときには何も起こらず、イエスは来られませんでした。

 では、それ以外のいつであれ、①イエスご自身が、②天の雲に乗って再臨される(空中再臨)などということが現実にありうることなのでしょうか。自然科学的に考えて、イエスも人間であってみれば、受精によってしか生まれえないので、再び肉身をもってこの世に現れるなどということは不可能であり、霊ならば空中に出現しえても、肉身が空中から下ってくるなどということは、どう考えても不可能です。

 文鮮明師はさらに、再臨が天上ではなく、地上でなされなければならない積極的な理由について次のように述べておられます。

 天国という完成された「内容が成される……起点は、天上ではなく地上だ」。「地上で(こそ)新しい天地が展開し」、「真の父母との因縁」が結ばれるのであって、霊界に行ってしまってからではもう遅い、そのために、天国をもたらす再臨のメシヤ、「真の父母は」天上ではなく、「実体を備えて地上へいらっしゃるというのです」。「真の父母は、(地上でなら)私が呼べば返事をすることができ、私が難しい立場にいれば同情してくださる……このように平面的な途上において、真の父母に出会うことができるということが、人間にとってどれほど幸福で楽しいことか分かりません」(『天聖経』「天一国主人の生活」2183頁)と。

 さて、このように見れば、天国実現という観点から見ても、聖書に書かれているような瞬間的天上再臨では事が済まず、どうしても生涯に及ぶ長期の地上再臨でなければならないということになります。もしそうだとすれば、イエスは何かの必要があって、ありえないことをありうるかのように啓示されたのだと考えるしかありません。

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 次回は、「空中再臨を啓示された理由」をお届けします。


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