至誠感天 家和万事成 82
精誠を尽くした人

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※本文中、各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の巻数とそのページ、または、み言を語られた日付を示しています。

(光言社・刊『至誠感天・家和万事成』より)

第二章 家和万事成

第三節 真の忠・孝・烈と侍義の生活

(三)侍義の生活③

 昔は、いくら霊的に精誠を尽くしても、その精誠に対する反応を受け得る主体になれなかったというのです。しかし、今はそうではありません。父母がいるので、その父母に精誠を尽くせば、その父母が、霊的にも反応してくれますが、実体的に会えば、いくら初めて会ったとしても、そばにいることを喜ばれるのです。精誠を尽くした人は、そうです。

 「なぜ現れてきたのか」と言われる人たちは、精誠を尽くしていない人たちだというのです。精誠を尽くした人は、会っても、会っても嫌になりません。嫌にならないのです。

 いくら外的な姿がみすぼらしくても、その本性が天の前に精誠を尽くせば、愛の主体の前に対象的な立場に立つので、その完全な対象と完全な主体の間に、神様の愛が自然にわき出て作用するのです。ですから、自然に一つになります。いなければ寂しく思うのです。(78351975.5.1

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 明日は、「神が因縁を結べる家庭」をお届けします。