愛の知恵袋 40
真の家庭は三世代同居

(APTF『真の家庭』150号[4月]より)

関西心情教育研究所所長 林 信子

「責任者」がいなくなった家庭

 昔と違って今は、三世代同居の家庭が少なくなっています。わがブライダル企画でも「姑さんと同居しないのが条件です」と言い切る女性が毎回います。姑拒否に晩婚、少子化、いつから日本はこうなったのだろう?

 角川書店の国語辞典を開いてみると「家庭とは、家族の住む所」とある。では「家族」を引いてみると「家族とは、親子、夫婦、兄弟を基礎として生活を共にする集まり」とあって、次に「旧法では…」と追文がある。

 「旧法では、家長に統率される同一戸籍を持つ構成員。家父長権によって統率される家族、国家の基礎となる制度——昭和22年に廃止——」とあるのだ。なるほど昭和22年とは、第2次世界大戦で日本が敗北した2年後。日本は民主主義国家に変身した。民主主義は、家長の権限を認めないため家族は平等となった。私が中学3年の年から、日本の家庭には家長という責任者がなくなっていたのだ。

 親と子供は平等ではない。親は親権という権利と義務を持つ。家庭の中で、母親が「お父さんはエライ」と教えないで、どうして子供が父の言うことをきくのか。父親は友達ではない。一家の大黒柱、責任者なのです。

 お母さんは現場監督。子供の心と健康に一番早く気付いて手を打つ。長男長女は次長に課長、その下は係長に平社員、赤ちゃんは何も知らない新米。平社員の前で社長が課長を叱ってはいけない。課長は面目を失う。現場監督のママは、そっと「お兄ちゃんは、ママの次にエライのよ、下の子に優しくね。お手本になってよ」と握手する。これが家庭の秩序です。社長のパパが困った時は相談役の祖父にきく。

三世代同居家庭の話

 講演先のK高校で、若い体育の教師が「自分が今、まともに生きているのは、おじいちゃんのおかげです」と話してくれました。

 「おやじはいつもクラスで一番の成績の兄貴が自慢だった。中学の頃から僕は『お前は体ばかり大きくて、頭は空だ。友達も悪い。その服装がいけない——』と嫌われた。シンナーを手に入れたある日、『出て行け!』『言われんでも出て行くわ』と自転車に飛び乗り走り続けた。隣の町の駅前でタイヤがパンク。ズボンのポケットにはいつも入っている財布がなかった。友達の家に電話もかけられない。終電が通り過ぎ、無人の駅の隅で涙が出てきた…。

 30分くらい眠ったろうか、肩をたたかれて、警察? と体をふるわせて目をあけた。祖父が立っていた。『ジイの自転車の後ろに乗れ。しっかりつかまれ』。真夜中に家に着いた。父と母は昼間の服装のまま立っていた——。

 祖父は僕に『ついてこい!』と大声で言って、さっさと奥の部屋に入った。僕も祖父の背中にぴったりついて入った。部屋には、ジイとバアのふとんの間に客用のふとんがしいてあった。その翌日からワル仲間とは離れて、体育系の大学受験を目指した…。今日があるのは、祖父のおかげです——」

同居でなく、訪問でもいい

 私の夫は二男、私も二女。でも子供たちが幼い時から双方の祖母が孫の顔を見に、一泊の予定できてくれていました。幼稚園児の娘が「ママ、おうちにおばあちゃんが二人いるのは何故?」。

 「パパのお母さんと、ママのお母さんよ」

 「じゃ、どっちがママのお母さん?」

 小1の兄が即答「決まってるよ。ママに信子さんと言うのがパパのお母さん。信子と呼ぶのがママのお母さんだよ」。

 「ああ、着物のおばあちゃんがママのお母さんか——」。私の母は常時、昭和服で日本人形を作っては娘と遊んでいました。

 「洋服のおばあちゃん」は、ハーモニカが上手で、息子の吹く曲に直ぐついて吹き、競争するのが二人の楽しみでした。幼稚園まで手をつないで送ってくれる洋服のおばあちゃんも、娘は大好きでした。姑と同居したのは、姑が癌の手術の後、再発するまでの数年間でしたが、幼い頃、とてもかわいがられた娘は、外出の多い私に代わっておばあちゃんのためにいろいろと気配りし、亡くなる最後の入院数カ月は、病院に泊まる日もあり、精一杯看病しました。

 祖父母は一番身近な先祖です。真の家庭とは、先祖を大切にすることからはじまると思いますよ。