至誠感天 家和万事成 68
孝子の行く道とは

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※本文中、各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の巻数とそのページ、または、み言を語られた日付を示しています。

(光言社・刊『至誠感天・家和万事成』より)

第二章 家和万事成

第三節 真の忠・孝・烈と侍義の生活

(一)真の忠・孝・烈①

 真(まこと)なる忠の道、真なる孝の道、真なる烈の道とは、どのようなものでしょうか。私たちは復帰過程にいるので、神様と先生と子女、この三点を合わせなければなりません。神様と先生の間、先生と皆さんの間、その間がどのようになれば滅びないのかというのです。それは、父母を中心として最後まで従っていかなければなりません。

 たたかれて血を流しても、唇が裂けても、「こいつ、なんだ?」と言われても、泣きながらスカートのすそをつかんでついていきなさいというのです。放しなさいと足でけ飛ばされても、父母の足をつかんで放してはいけないのです。分からなければ、そのようにしてでもついていってこそ、父母と自分が共に暮らすことができる道があるのです。

 その次にどのような道がありますか。子女に分別がつくようになり、父母が苦労して困難な道を行けば、父母の前に立ってその困難なことに責任をもとうとし、自分の父母に任された仕事があれば自分が担い、父母が倒れることがあれば、自分が倒れてでも父母の無事を願わなければなりません。

 このような道以外には、孝子の行く道はありません。ですから、孝子の行く道は、父母の前に行くか、父母に絶対的に従っていくか、それ以外にはないというのです。(711351974.4.29

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 明日は、「歴史に残る忠孝烈とは」をお届けします。