2025.04.09 22:00
内村鑑三と咸錫憲 18
内村鑑三と咸錫憲の「預言者」としての共通点
魚谷 俊輔
韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。
今回は、「預言者」としての内村鑑三と咸錫憲の共通点について解説する。
旧約聖書の預言者は、「予言者」すなわち未来について語る人ではなく、神の言葉を「預かった人」という意味である。
イスラエル民族は神との間に契約を結んだ。それは彼らが神に対する信仰を保持し、神から与えられた戒律を守れば、神は彼らを保護するという約束であった。
従ってイスラエルの興亡盛衰は神との関係、すなわち民族とその中心人物の信仰によって決定される。
外敵による攻撃や他民族の支配を受けるなどの不幸な出来事は、民の不信仰に対する神の懲罰であり、信仰が回復されれば神の恩寵(おんちょう)も回復される。
神の代弁者であるイスラエルの預言者は、民族に対する神の声として、「背信の子どもたちよ、帰れ」(エレミヤ書 第3章22節)と叫ぶのである。
預言者は王や民衆を痛烈に批判したが、それは民族に対する神の愛が動機となっていた。
その意味では、内村鑑三も日本民族に対する預言者であった。
内村は「日本の天職」を信じる愛国的キリスト者であったが、現実としての日本の姿を無条件に礼賛したわけではない。むしろその天職を果たすことができないでいる母国に対する怒りに燃えた。
彼の最も好んだ預言者はエレミヤであった。
咸錫憲もまた、現実としての韓民族の姿を無条件に礼賛した人ではない。むしろ『意味から見た韓国歴史』には、民族に対する容赦のない批判がつづられている。
彼によれば、朝鮮民族はもともと素晴らしい本性を持っていたが、高句麗の滅亡で「旧満州」の領土を失ったことにより、その根本精神を失ってしまったという。
それ以降、民族の精神は歪(ゆが)んでしまい、ハナニム(하나님/韓国語で“神様”の意味)はその歪んだ民族性を矯正するために、民族に次々と苦難を与えるようになったというのである。
咸錫憲が挙げる歪んだ民族性は、党派心、姑息(こそく)主義、他律性、消極性、奴隷根性、階級主義、事大思想、宿命論、軸の折れた歴史、背骨の抜けた国民など、さまざまな言葉で表現されるが、その本質は以下のように説明される。
「わが国の歴史では、この自我を失ったということ、自分を求めようとしなかったことが、百の病、百の弊害の根本原因である。自分を失っているために理想がなく、自由がない。民族的な大理想がないために大同団結ができない」(『意味から見た韓国歴史』、227ページ)
悪口にしか聞こえないこうした自民族に対する痛烈な批判も、愛するわが子に対するハナニムの叱責だと思えば納得がいく。
咸錫憲もまた、預言者だったのである。