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文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写 24

幸福を教示する先生

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第3弾、『文鮮明師自叙伝に学ぶ~心の書写』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『心の書写~文鮮明師自叙伝に学ぶ~』より)

【第七章】私は今、正しく生きているか

幸福を教示する先生

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 自分の最も親しい先生は自分の良心です。最も親しい友人よりも貴く、父母よりも貴いものが自分の良心です。ですから、一生を生きていきながら、最も親しい先生であるこの「良心」に、「私は今、正しく生きているか?」といつも尋ねなければなりません。良心が自分の主人だという事実を悟り、心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、誰もが良心の声を聞くことができます。良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、その時にしていることはすぐ止めなければなりません。良心を苦しめることは、自らを滅ぼすことだからです。良心を悲しませることは、結局、自らを悲しみに陥れることです。

 心を明るくし、清めようとすれば、世の中の喧噪(けんそう)を離れて、私と私の心、この二つだけが対面する時間が必ず必要です。とても孤独な時間ではありますが、心と親しくなる瞬間こそ、私自身が心の主人になる祈りの場であり、瞑想(めいそう)の時間です。(自叙伝、234〜235ページ)

 私たちは誰もが幸福を求めて生きています。では、どうしたら幸福になれるのでしょうか?

 答えは簡単です。本当の幸福に導いてくれる先生に出会い、指導を受け、そのごとく実践すればいいのです。車の運転をしたい人は、自動車教習所で指導を受ければ運転できるようになります。英会話を習得したいなら、英会話学校で外人教師などから指導を受ければいいのです。自分が知らない場合は、誰かから正確な指導を受ける以外に解決の道はありません。

 幸福も同じです。真の幸福へ至る人生のあり方を教示してくれる先生に会えばいいのです。通常は、この先生の役割は父母であるべきです。父母は子女を正しい人生に導く責任があるからです。この場合、正しいというのは、真の幸福に至る真(まこと)の愛の道を教えることを意味しています。なぜなら、幸福は真の愛の実践によってのみ得られるからです。幼児には善悪の判断ができません。それで父母が教えるのです。

 小学校に入ると、先生が登場します。小学、中学、高校と、先生が子供を指導します。また、友人が人生に影響を与える場合もあります。良い友人は先生の役割もします。人生の方向性が、友人との出会いによって決まることもあります。いずれにせよ、父母、先生、友人との出会いと彼らの指導の中で、人生の指針が決定されていくのです。

 幸福になるためには、正しい父母と、正しい先生と、正しい友人に会わなければなりません。では、あなたは正しい父母、先生、友人に出会えたでしょうか? もしそうだったなら、きっと幸福を享受しているに違いありません。でも今もなお、幸福を求めているのはなぜでしょうか? 答えは簡単です。正しい父母、先生、友人に出会えなかったからではないでしょうか。

 もし、人格形成で重要な青年時代に正しい先生に出会えず、間違った指導を受けたらどうでしょうか。不幸になるに決まっています。

 結婚して子供もでき、孫もできた年になったら、人生のあり方を親身になって教示してくれる先生には簡単に出会えません。また、年寄りに過ちを指摘する人はそう多くはいません。下手に指摘すると、「なにさ、あんたなんかに言われたくないよ」などと怨まれることが多いからです。年寄りに怨まれてまで善悪を教える奇特な人はあまりいないのではないでしょうか。仮にいたとしたら、指導を受ける人は相当素直でなければなりません。

 「自分は未熟者で生涯、指導を受けなくてはならない」という謙虚さがなければ、人格的成長は期待できません。不幸なのに指導を求めない人は、病気なのに医者に行かない人と同じです。早く行けば完治する病気が、手遅れとなって不治の病になってしまいます。

 幸福になるための秘訣(ひけつ)は、謙遜で素直な心を持つことなのです。まず、良い生徒になることなのです。(続く)

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 次回は、第七章の「良心は幸福の先生」をお届けします。


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