コラム・週刊Blessed Life 40
お笑い芸人の生き方

新海 一朗(コラムニスト)

 日本にはお笑い芸人が多いのですが、このことは日本社会の平和の度合いを測る尺度になると考えても差し支えありません。

 笑いながら暮らせる社会というのは、平和であるに違いありません。人を笑わせて収入を確保でき、そこそこ、あるいは豊かに生きていけるというのは、よほど自由な社会で平和でなければならない。これは確かなことです。

 厳しい貧困に向かい合って暮らしている国、内戦で殺し合っている国、独裁国家で言論統制、文化統制を受けている国などに、果たして「お笑い芸人」と呼ばれる人々がいるでしょうか。いたとしても、国家認定のお笑い芸人と言われるような謎の芸人がおかしくもないことを言っているだけとなるはずです。笑っている余裕などないというのが正直なところでしょう。

 「日本のお笑い芸人はお笑いだけで生きているのではない。お笑いのほかにもいろいろなことをしながら生きている」と言ったら、そうなのかと、一瞬戸惑われるかもしれませんが、すぐに合点がいきます。

 テレビ番組などを見ていると、バラエティー番組の多くで、知っているお笑い芸人がいつの間にか司会を務めているのを見たり、あるいはコメンテーターをやっていたりするのは当たり前のことで、中には、知的な番組や時事的な事柄を扱うニュース番組のようなもの、歴史や科学などの教養番組といった真面目な番組でも司会をしたりしている姿を見かけます。日本でのお笑い芸人の需要は非常に高いということです。

 なぜ、このようなことになっているのかという分析はおくとして、お笑い芸人の素質が高ければ、お笑い以外のいろいろな番組にも引っ張りだこで忙しい毎日を過ごすようになります。お笑いを入り口にして、いつの日か、固い番組でも立派に司会を務めたり、味わい深い俳優になったりして、敷居の高い奥の院に迎えられるのです。
 「日本って、何と自由な国だろう」と一番思っているのはお笑い芸人自身かもしれません。

 勝手な評論をして、「何も分かっていないなあ」と叱られるかもしれませんが、お笑い芸人さんにしか分からないいろいろな苦労があることも認めた上で、それでも、日本は自由な国であり、この自由を失うことにならないように関係諸氏の皆さまには頑張ってもらいたいと思います。