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心情開拓
心霊を育てる生活原則(152)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』より)

12 第37年路程を走り抜くに当たって
(1976年1012日 東京教会)

▲李耀翰先生

基台の上に霊界が総動員

 でも、ちょっと教会生活が長くなった人は、それがなくなってしまうのです。長くなるとカイン・アベル関係がなくなってしまうのです。ほとんどの人がそうです。同じ状態の教会生活が長くなると、アベルがいなくなってしまいます。

 アベルがなくなると、自分がめちゃめちゃになり、自分の価値が分からなくなってしまいます。

 自分の価値が分からなくなると、人に伝道しようという力が出なくなります。憐(あわ)れみもなくなってしまいます。憐れみがその人に引かれていくと、こうなった時、基台をつくり上げるのです。

 自分が価値を失っているから、起こるべき何もないでしょう。それで、教会生活が長い人が、かえってアベルを失うのです。

 時が来ているのです。実力の現れる時が来ました。霊が来たら、基台のない人はやられます。それで今、相当総動員して、再臨しつつあるのです。昨年から、霊が相当地上に現れてきているのです。霊界が今苦しんでいるのです。

 善の霊が来て、善の基台の上で力を出そうとするのです。それなのに、基台がないから苦しんでいるのです。霊界が、「功労がない」と言って苦しんでいるのです。それで祖先たちが基台に苦しんでいるから、その人に相当重荷になるのです。協助ではなくて、マイナスになるのです。それを私たちは知らないから、悪霊と思うのです。悪霊ではありません。今は怨讐(おんしゅう)もありません。悪霊もない時です。なぜかというと、全部摂理に総動員した時だからです。地上の人がこの総動員した時に、自分の基台と方向に徹していないので、霊界に押さえられるのです。圧迫されるのです。それで、受ける人のほうから見れば、悪霊のように思われるのです。

 以前と違うのです。以前は戒めを与えたのは、もっと蕩減(とうげん)条件を立てさせるために、霊が私を邪魔するようであったけれども、本当は復帰摂理において邪魔はないのです。

 パロ王がイスラエル民族に対して、邪魔したのではありません。皆さん習ったでしょう。パロ王がイスラエル民族に対して邪魔したようですが、実際は、邪魔ではなかったのです。

 なぜかというと、神に対して徹した基準を立たせるがためだったのです。これは神様が許したのです。なぜなら、イスラエル民族が神との関係を固く結ぶため、目的はそうだから悪霊は絶対邪魔しません。

 悪という悪は、人間が方向に徹していないから、悪のように現れるのです。今までそう考えずに、悪霊によって私はこうなったと思っていたのですが、過ぎ去ってみると、そうではなかったのです。

 迫害といっても、迫害ではないのです。迫害も結局、神に早く行かせるためだったのです。復帰路程、蕩減路程もそうだったのです。今は、蕩減が終わったのです。

 蕩減を終えた今は、善霊が摂理に徹底的に協助しようとする時なのです。このように霊界の事情が私たちは分かりました。

 だから私たちには、怨讐がありません。だから私たちはぶつかってはいけません。今、注意しなければならないのは、私たちが人間関係、あるいは兄弟関係とかで、生活の中で葛藤(かっとう)しては危ないのです。葛藤していたら、やられてしまいます。

 蕩減時代には葛藤しても許されたのですが、今は、一度倒れたら許されにくい時なのです。一度倒れたら、大変なのです。以前と違って、復活しにくいのです。直りにくい時です。春や夏に植物が倒れた場合は、まだ直りやすいのです。秋になって、実る時になって、もし折れた場合は、もう可能性がないでしょう。それと同じく、今、実ろうとする時、霊界は総動員して、何か摂理の最後を実ろうとする時に、私たちは葛藤すると危ないのです。

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 次回は、「兄弟を通じて父母に」をお届けします。


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