https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4229

天一国主人に育む「神様コーチング」15
真の父母様から学ぶ「傾聴の精誠」

ナビゲーター:阿部 美樹

旧本部教会での伝道の秘訣
 文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁は、1955年からソウルの青坡洞(チョンパドン)にある日本式の非常に小さな家屋を本部教会とされました。

 西大門(ソデムン)刑務所から出てきたばかりにもかかわらず、1年もすると信徒数は400人を超えたそうです。
 その様子が自叙伝に記されているので、紹介します。

 「青坡洞の教会に移っていった後、私はほとんど眠りませんでした。奥の間に身をかがめて座り、明け方の三時か四時になるまで祈って、服を着たまましばらく背中を丸めて寝ると、五時にはもう起きる生活を七年間続けました。毎日一、二時間しか寝なくても、うとうとすることもなく、明けの明星のように目を輝かせて、疲れを知りませんでした。…
 一年も経つと信徒数が四百人を超えました。四百人の信徒の名前を一人一人挙げて祈っていると、名前を言う前から、彼らの顔が頭の中をしきりに行ったり来たりしました。彼らの顔が泣いたり笑ったりします。その人が今どんな状態にあるのか、病気なのか元気なのかを、祈りの中で知るようになりました」(『平和を愛する世界人として』光言社文庫版160161ページ)

 このように、真の父母様の生涯は「祈りの精誠」が全ての土台になっています。
 涙を流して夜通し祈ったので、青坡洞の教会の板の間は乾く日がなかったほどです。祈りを通して信徒を愛された伝統で築かれた教会でした。

 また文鮮明総裁は、信徒たちに限りなくみ言(統一原理の教え)を語られる説教者であるように、生涯を祈りと説教で生きてこられたかたです。

 しかし信徒の中には、神のみ言よりも文鮮明総裁の霊的な力・神通力に引かれて教会に来る人もいました。

 奇跡にすがりつくのは正しい信仰ではないので、教会が定着してくると、心の目で見たことを信徒に話さないようにされたようです。

 それでは、霊的な奇跡を見せるのではなく、何をもって伝道し教育されたのでしょうか。

 自叙伝には、次のように記されています。

「傾聴」される真の父母様
 「信徒の数は次第に増えましたが、数十人だろうと数百人だろうと、私は一人だと思って向き合いました。どんなお婆(ばあ)さんでも、どんな青年でも、その人一人だけを相手とするように、精一杯の真心を込めて話を聞きました。『韓国で私の話を一番よく聞いてくれる人は文(ムン)先生だ』という言葉を、信徒全員から聞きました。お婆さんたちは、自分がどんなふうに嫁に行くようになったのかという話から、年上の夫のどこが悪いかということまで、何から何まで打ち明けてくれました。
 私は本当に人の話を聞くのが好きです。誰であろうと自分の話をし始めると、時の経つのも忘れて聞くようになります。十時間、二十時間と拒まずに聞きます。話そうとする人は切実な思いで、自分を救ってくれる太い綱を探し求めているのです。そうであるならば、私たちは真心を込めて聞かなければなりません。それがその人の生命を愛する道であるし、私が負った生命の負債を返す道でもあります。生命を尊く思って、敬い仰ぐことが一番大切です。嘘偽りなく心を尽くして人の話を聞いてあげるように、私自身の真実の心の内も真摯(しんし)に話してあげました。そして、涙を流して祈りました」(『平和を愛する世界人として』光言社文庫版162163ページ)

 このように、文鮮明総裁は、信徒の話を果てしなく聞くなど、一人一人を深く理解することに精誠を尽くされました。

 まさに、「傾聴」を通して真心を込めて愛された歩みでした。

関連情報


より良い家族関係や人間関係を実現するための「ファミリーサポート(FS)コーチング講座」コチラから