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コラム・週刊Blessed Life 308
米中の「新冷戦」~国際情勢の現在地を見る

新海 一朗

 現在、国際情勢の大きな推移は、米ソの冷戦から、現在、米中の新冷戦に入っているという見方がよくなされます。

 米ソの冷戦はいつ始まったのか。
 コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)がヨーロッパ9カ国の共産党によって組織されたのが、1947年のことです。
 それに対して、米国はマーシャルプランを1947年6月に発表します。

 マーシャルプランは米国のヨーロッパ経済復興援助計画のことであり、多額のお金が援助されました。その目的は明確で、ソ連・東欧圏に対する「封じ込め政策」によって、共産主義の拡張を防ぐというものでした。
 従って、米ソ冷戦の始まりをはっきりと認識できる年は、1947年と見てよいでしょう。

 しかし米ソ冷戦を、ヤルタ会談(19452月)からマルタ会談(198912月)までと見る見方もあります。すでに米ソは水と油のごとく、互いに溶け合わない性質であると見られていたのです。

ヤルタ会談(ウィキペディアより)

▲マルタ会談(ウィキペディアより)

 その意味では、終戦間際の19452月から「冷たい戦争」がすでに始まっていたともいえます。
 結果は、核戦争に至ることなく、ソ連の自壊作用によって、冷戦は終結しました。

 ワシントン・タイムズを通じて、ソ連を追い込んだ米国のレーガン政権を陰で支えた統一運動提唱者、文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の功績は非常に大きなものがあったことが知られています。
 最高指導者のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、自らの手でソ連帝国の幕を閉じました。

 第2次世界大戦後のパクス・アメリカーナ(米国による平和)の世界を脅かす国がソ連であったわけですが、そのソ連が崩壊した後、グローバリゼーション(ヒト・モノ・カネの流動性が確保される中、経済力を向上させる経済政策)によって恩恵を受け、飛躍的な経済成長を達成したのが中国です。

 この中国が、国内総生産(GDP)およそ17.5兆ドルと米国経済の4分の3の規模に達し、世界第2位の経済大国となりました。
 購買力で見た国際ドルではおよそ27兆ドルであり、米国の1.2倍に達しています。

 軍事面においても米国を脅かす存在となりつつあります。
 世界各国の軍事力に関する評価を公表しているグローバル・ファイヤーパワーによれば、第1位は米国、第2位はロシア、そして中国は第3位となっています。

 安全保障を考える上で鍵を握る情報戦においても、中国は北斗衛星導航系統という独自の衛星測位システムを整え、米国がGPSを使う情報戦においても対抗できる体制を築こうとしています。科学技術力の向上も目覚ましいものがあります。

 このような存在として台頭してきた中国を、明確な敵対国として認識し、米国は対応策を練らざるを得なくなりました。
 とりわけ、軍事面で強硬な発言を重ねる朱成虎の姿勢の中に、中国共産党の本質を見た米国は、民主党、共和党どちらの政権に転んでも、対中国政策は強硬なものになることに変わりはないと見られています。

 「アメリカは強大な国力を保っているので、徹底的に消滅させないと、将来大患になる」「核大戦のなかで、我々は100余年来の重荷を下ろし、世界のすべてが得られる。中華民族は必ず核大戦のなかで、本当の復興を得られる」(ウキィペディアより)などと嘯(うそぶ)く朱成虎にどれだけ、米国はイライラさせられていることでしょう。

 このような言葉が大言壮語であるにせよ、遠慮会釈なく挑戦的な態度で、米国にかみつく姿勢は、武力戦争肯定、核戦争をも辞さないといった態度ですから、米国としては許し難いことでしょう。

 ウクライナ戦争が一息つけば、中国に本格的に戦いのフェーズとして向き合わざるを得ないだろうと見てよいと思います。

【参考】
・ニッセイ基礎研究所の三尾幸吉郎氏によるレポート「米中新冷戦下の世界とは?」