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文孝進様の孝情に学ぶ 4

証し 文孝進様の思い出
「真の父母様の解放のために身もだえされた生涯」

 3月17日、文孝進(ムン・ヒョウヂン)様(享年45)の聖和16周年を迎えました。孝進様の孝情がいかなるものであったかを学ぶ一助として、孝進様に近く侍ったかたの証言を紹介します。(一部、編集部が加筆・修正)

 今回は、音楽を通して孝進様に侍った日本人男性Hさん(36万双)の証し「真の父母様の解放のために身もだえされた生涯」(『トゥデイズ・ワールド ジャパン』20159月号掲載)の第2回です。

み旨を進めるため、生きたまま祭物になられた

神だけが本当の目撃者だ
 孝進様のそばに残った私とTさん(日本人)は、来る日も来る日も孝進様と一緒に音楽を作る中で多くの恵みを頂きました。しかしながら、同時に耐えがたい苦しみにも直面したのです。

 というのも、当時の孝進様は、その心にあまりにも深い傷を負っていらっしゃいました。幼い頃から、真の父母様の愛を直接受けることができなかっただけでなく、愛する者からの裏切り、差別、迫害と、ありとあらゆる理不尽な扱いを受けてこられたのです。それは世の中からだけでなく、教会の食口(シック)からも同様でした。「自分の愛したものは必ず裏切る。犬や馬までも」とおっしゃいました。信頼できる人は一人だになく、孤独でした。「神だけが私の本当の目撃者だ」と涙ながらに語られるのを何度も聞きました。

 12歳でアメリカに来てからは、学校で先生からも生徒からも迫害を受けました。「サタンの子」と呼ばれてさげすまれました。しかも、そういう傷を抱えて帰ってきても、家には聞いてくれる人も慰めてくれる人もいませんでした。真の父母様から受けられなかった愛を、本来は祝福家庭が補うべきだったのですが、それも十分にはなされませんでした。

興進様とギターだけが友達だった
 そういう中で唯一の友が、弟の興進(フンヂン)様とギターだったといいます。興進様とは一つの部屋で寝起きし、共に遊んだのだそうです。「興進が生きていたら、私の人生も少しは楽になっていただろう」と語られたことがあります。

▲弟の興進様(右)と共に

 真のお父様が食口たちに、「孝進を保護しなさい」といつも語っておられたことを思い出します。それは現実的に、孝進様が暴漢から攻撃を受ける危険性があったということもあるのですが、私にはむしろ、「孝進の純粋な心を保護せよ」という意味ではなかったかと思えてならないのです。それほどに孝進様の心は、まるで雪の結晶のように繊細だったのです。

 食口であったとしても、頭で思っていることと、口で言うこと、あるいは行動が違うことがよくあります。聖書に、サタンを二枚の舌を持つ者に表徴していますが、それはよく言ったものです。堕落人間はまさしくその後孫です。孝進様は非常にピュアであられましたから、そういう存在に対応していくことが難しかったのではないかと思われます。裏と表がある人間を理解できなかったのです。

メシヤの息子としての苦悩
 孝進様には食口の中に、どうしても許せない人がいました。そのことが孝進様を苦しめました。真のお父様に何度も相談されたようですが、お父様はそのたびに、「許しなさい」としかおっしゃらなかったのです。
 真のお父様は、そばに侍る人がどういう人かを全てご存じのうえで、用いておられます。たとえその人が陰で神様を裏切るような行為をしていることが分かっても、変わらずに愛を与えておられるのです。そういうお父様のことを孝進様は、「愛のスーパーマン」と表現されました。

 孝進様は、メシヤの息子としてあるべき基準の高さをよくご存じだったので、そこに到達するために身もだえされました。その闘いがあまりにも壮絶だったがゆえに、孝進様は愛にあふれたおかたであったにもかかわらず、その愛が外に出てくるときには怒りに形を変えていました。

 孝進様は毎日、私とTさんにその怒りをぶつけてこられました。もちろん、その怒りは私たち個人に対してではなく、許せない食口に対するものであったり、世の中全体に対するものであったりしました。毎日、その怒りの言葉を聞くのが私たちの仕事でした。とにかく黙って聞くのです。一日に何時間にもなりました。

 それはとても苦しく、疲れるのですが、一つ救いだったのは、私たちの母国語が英語ではないということです。外国語でその激しい言葉を聞きますから、心にぐさっとくる度合いが緩められるのです。おそらくアメリカ人だったら、3日も耐えられなかったと思います。

 そういう日々の中で私たちが目撃したのは、あまりにもかわいそうで惨めな孝進様のお姿でした。怒ることでしかご自分を表現できない、ずたずたに切り裂かれた心でした。私たち祝福家庭の罪がそこに堆積され、心情の十字架の上で血を流しながら泣き叫んでおられたのです。孝進様の存在自体が犠牲です。み旨を進めるために、生きたまま祭物になっておられたのです。

 私にももちろん、日本に帰りたい思いはありました。自分なりの音楽に対する夢や考えもありました。でもそんな孝進様のお姿を目の当たりにして、真のお父様に先に愛された者が、なぜ見て見ぬふりができるでしょうか。私たちがいなかったら、一体誰がこの怒り、悲しみの受け皿になってさしあげられたでしょうか。それを思うと、私たちには孝進様を置いて去って行くことなどできなかったのです。

(続く)

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 次回は、「『傲慢になるな、謙虚になれ』が口癖だった」をお届けします。


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