夫婦愛を育む 32
心配していただろうけど…

ナビゲーター:橘 幸世

 母親とは心配するのが仕事なのだろうかと思うくらい、あれやこれやと(妄想も含めて)子供たちのことで心配します。上の学校に進学するたびにうまくやっていけるだろうかと心配し、受験で心配し、就活で心配し、就職したらしたで、また心配。そして、それを表に出さないようにと気を付ける・・・・・・。

 今でこそ、「心配」は負の波動であり負の結果を呼びかねない、「心配」を「信頼」に置き換えることが肝要、と知っていますが、知識と性分の折り合いをつけるのにはそれなりの努力とエネルギーを要します。

 社会人、家庭人となった子供たちにあれこれ言っては、彼らがうっとうしく思うだろうと、手出し口出しをセーブします。今はメールやLINE(ライン)があるので便利ですが、それも善し悪しで、「既読」がなかなかつかないと、(特に娘の場合)何か物騒な事でもあったのではと悪い想像をしてしまいます。

 親ばかりが子供のことでさまざまに心を砕き、子供たちは自分たちの生活で忙しく、親のことはさほど気に掛けてはいないのだろうなどと思った時、ふと自分が若かった頃親に対してどうだったか、思い返してみました。

 やはり、目の前のことで精いっぱいでした。
 そして気付いたのです。

 私の場合、父は早くに他界し、心配を掛ける相手は母だけでしたが、母があれこれと言ってきた記憶がありません。母をうっとうしいと思った記憶がないのです。

 私の学生時代、連絡手段は公衆電話か郵便のみという環境や、母が忙しかったこともあるでしょう。けれど、卒業後の進路について口を挟むこともしませんでしたし、アメリカに行くと報告に帰省した時には、何も言わず父からもらった指輪を持たせてくれました(困ったらお金に換えなさい、という意味だったと想像しています)。後から航空便で送ってほしいと段ボール4個ほどの荷物を預ければ、高い送料に文句一つ言わず、送ってくれました。

 結婚して子供ができてから会う機会が増えましたが、「お前はこうだった」とか「心配でしょうがなかった」などと聞かされたことは一度もありません。

 できることは何でもやってあげたい、そんな愛情溢れる母ですので、心配でなかったはずはないのですが、それを微塵(みじん)も感じさせませんでした。
 当時どんな思いだったか、今更ながらに聞いてみたくても、母はもう地上にいません。

 子供の頃は普通の主婦だと思っていた母が、自分が親として悩むにつれ、家庭人として足元にも及ばない人であると分かってきました。そんな母に倣って、私も天と子供たちを信じ、自分の役割を果たしていきたいと思います。