愛の知恵袋 30
大切な幼児期(Ⅰ)

(APTF『真の家庭』140号[6月]より)

関西心情教育研究所所長 林 信子

幼児期は人生の基礎工事期
 幼児期6年間は人生の基礎工事期。人間性、知情意の中の「情」を確立させる時です。幼稚園児4歳で、もう差ができます。雪月花への美意識。虫を怖がる子、すぐに虫を殺したくなる子、お花に水をやる子、すぐにちぎる子、無関心な子——。テレビで桜や動物を見るのと、本物に接するのは違います。例えば実際に、犬の背をそっとさわってみて生命の感覚を体験することが重要です。5歳までに、生命あるものとのつき合い方を知らない少年少女が大人になったらどうなるのでしょうか。

 1989年に「宮崎勤事件」が起こりました。被害者は4歳から7歳までの3人の少女たち。宮崎勤の両親は27歳の彼に、離れの部屋を増築し、車も買い与えていました。彼は大卒でしたが片手が少し不自由で、劣等感を持っていた……。当時、事件がニュースになると、私への講演会の依頼テーマが「宮崎勤はなぜああなったのか?」となって驚きました。私は彼の知人でも親類でもありません。資料を探しに本屋に行くと「宮崎勤のすべて」というパンフが売り出されていました。専門家やジャーナリストの勝手な批評の中に幼年期の友人の思い出話がありました。小学1年の時、風の強い岸辺で、抱えた紙袋からトンボの羽を次々に取り出し、恍惚として空に投げている宮崎君を見た——。胴の部分は足元にふんづけられていた……。なるほど無抵抗な弱い者の生命を奪う快感を彼はここで覚えた——と思います。親はまったく気づかなかった……。

 そして1997年、A少年事件が起きました。神戸市須磨区。被害者の父親で、神戸大学医学部の先生は、1年後に「淳」という1冊を書き上げ公開されました。6年生の淳君がどんなに素直でいい子だったか——。近くで亀を飼っていた中学生のお兄ちゃんに、亀を見せてあげようと誘われてついて行き、被害に遭った。どうしてこんな残酷な仕打ちができるのか、と思わせる結末でした。「酒鬼薔薇事件」と名付けられました。

 その後、A少年の父親も謝罪の本を出しました。親は何も知らなかったし、気づかなかった、と。

 A少年の家も神戸の住宅地の新宅。母親は淳君が殺害された後、淳君の家に犯人探しのグループに参加して行っていました。「自分の息子が犯人とは思ってもみなかった」そうです。しかし、警察の調べで、猫の耳を切ってビン詰めにしたものが息子の部屋の天井裏から出てきました。「でも信じられなかった」と言います。息子は母親の面会を拒みました。自分より弱い者をいじめ、平気で殺せる神経は、逆に言えば5歳くらいまでに生命の尊さを、愛を、思いやりを教えていなかった、ということになります。

わが家のトンボと蝶の思い出
 ウチの息子が、はじめてトンボをつかまえてきたのは5歳の時でした。うれしくて、羽の1枚だけ持って「ママ見て見て!」と走ってきました。

 「あのね、トンボの羽はすぐにとれちゃうの、ほらこうして全部を背中で合わせて持つのよ」と教えました。そして「♪トンボのメガネは青色メガネ…」と3歳の娘も一緒に合唱。「さあ、トンボさん、お空に帰してあげます。トンボさんにもお家があるのよ。ママが心配してるよ。ほら放しておやり」。息子が窓から外に放すと、トンボは空に飛んだ。息子はその晩、寝る前に「トンボちゃんお家に帰ってママに会えたかなあ」とつぶやいていました。

 その息子が小1の時、私は友人から、みかんの苗木をもらって庭の端に植えていました。緑の葉が増えて実もなるかなと思っていた矢先のある日、葉っぱが虫にかじられて1週間くらいの間に穴だらけになっているのを発見。じっと見ると葉と同じ色の緑のいも虫の大きいのが枝に巻き付いていました。犯人はこれだ!と家の方に「火ばさみを持って来て! 大きい虫がいるよ!」と叫びました。すると息子が飛んできて「ママお願い。殺すのもう1日だけ待って!この青いのね、明日は蝶々になるの。アゲハ蝶なの」「えーッ、これがアゲハ蝶に?」「うんごめんね。みかんの葉っぱが大好きなんだって。でも見て、もう白い膜が体に浮いてきてるでしょう。明日の朝早く蝶になるんだよ」。

 翌朝の明け方、母子2人で見事な蝶がパタパタ2、3回羽を広げ、大空に飛び立つのを見送りました。