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脱会説得の宗教的背景 29
「本性相」と「本形状」とは何か?

教理研究院院長
太田 朝久

 YouTubeチャンネル「我々の視点」で公開中のシリーズ、「脱会説得の宗教的背景/世界平和を構築する『統一原理』~比較宗教の観点から~」のテキスト版を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
 講師は、世界平和統一家庭連合教理研究院院長の太田朝久(ともひさ)氏です。動画版も併せてご活用ください。

エネルギーを規定する「本性相」の存在
 ところで、エネルギーが一定の値(=プランク定数)に凝固(集結)するには、どうしても、それは“何か”によって規定されなければなりません。
 つまり、神の中にある「無限応形性」の無限定な前エネルギーを「質料」に展開するための、最初にそれを規定する、ある“法則性の力”がなければなりません。それが「本性相(ロゴス)」ということです。

 この場合、もし質料が神の外側にあるとすれば、それは「二元論」になってしまいます。
 しかし、「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体」(『原理講論』、47ページ)とあるように、「本形状(質料)」が神の中にあったと考えます。

 神はご自分でご自分を規定しながら、すなわち本性相(ロゴス)が本形状(質料)を規定しながら創造していかれたということです。
 この本性相(ロゴス)と本形状(前エネルギー)の授受作用により、神が宇宙を創造されたことを「自己限定(自己制限)」による創造というのです。

「本形状」とは何かについて
 本形状とは何か。
 それは、いかなる個別的な形を持たず(無形)、無限定であり、いかなる性質も帯びていない状態の前エネルギーのことです。

 もし、そこに何らかの“形”や“性質”があれば、その形や性質にせしめた原因がもっとその奥にあるということになるために、それは第一原因になることができないのです。

 従って、いかなる形も、いかなる性質も有しない無限性・永遠性を持った、あらゆるものの根源としての前エネルギーであり、あらゆる「可能態」を有している「完全没個性」の前エネルギーが、本形状ということです。かつ、それは「無限大」でもあります。それを数字に例えると「ゼロである」と考えることができます。

 完全没個性なので、何もない(=無の状態)ようですが、実際には全ての個性を無限大に集め、それを“中和”して充満し切っている状態のものです。

 すなわち、第一原因としての本形状は、あらゆるものになり得る可能性を無限大に持つ可能態ということであり、それは、まるで無のようでもあるというのです。
 しかし、それは何もない無ではなく、無限の個性が全て集まってできている「中和」(=限定化されていない混沌状態)の故に起こっている無なのです。

(続く)

※動画版「脱会説得の宗教的背景 第7回『唯物論』と『唯心論』の和合統一〈その2〉」はこちらから