コラム・週刊Blessed Life 33
至高なる存在への呼びかけ~「天の父母様」と呼ぶ時

新海 一朗(コラムニスト)

 「GOD(神)」の語源はゲルマン語から来ており、そのゲルマン語である「GOTT」は、印欧語の「ghau(「呼びかける」という意味)」もしくは「gheu(「飲み物を注ぐ」「供え物をささげる」という意味)」に由来していると見られます。従って、GODは呼びかけられ、供え物をささげられる存在ということになるのでしょうか。

 聖書における唯一神の名は「ヤハウェ」ですが、これはヘブライ語であり、四つの子音文字で構成されているところから、「神聖四文字=テトラグラマトン」と呼ばれています。
語源は、旧約聖書の出エジプト記第3章14節の「有って有る者」に由来し、「存在する者」、「何者によっても存在させられることなく、自ら存在する者」、「絶対的自存者(究極的存在、第一原因)」という意味になります。

 神道では、「天之御中主神」という表現が「古事記」に記されており、「アメノミナカヌシノカミ」すなわち「天の偉大な中心の支配者」という意味の神が、天地万物の中心に居まし給うと告げています。

 このように「神」「ヤハウェ」「天之御中主神」という言葉の意味や語源を探っていくと、神は「存在する者(究極的実在)」であり、宇宙、天地万物の中心に座していらっしゃり、人間によって呼びかけられ(「主よ」「天の父よ」など)、いろいろと供え物をささげてもらう崇高なる存在であるというイメージになります。

 このような神が、「光あれ(ビッグバンを起こした時の創造の始発点)」という言葉を発せられたところから全てを創造された、すなわち、創造という行為によって創造主になられたわけです。

 創造主である神は、キリスト教において、天の父と言われてきましたが、その神は自分のかたちに似せて人を創造された結果、人は「男と女」になったというのです。すなわち、神の姿そのものが「男と女(父と母)」であるということですから、天の父では足りず、「天の父母」と呼ばなければなりません。「天の父母様」、このように呼びかけ、日々の生活を送る時、私たちの人生は「天の父母様」に守られ、導かれるものになるでしょう。