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(『祝福家庭』85号)
【第3祝福】「主管性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

第3祝福】
「食べる」に関するみ言(1)

 愛する心をもって食べ物と向き合うとき、その食べられる食べ物は、「あなたの血と肉になり、力になって神様を愛することのできる元素として私が吸収される、この驚くべき事実に感謝します」と言いながら、早く口に入っていこうとするのです。

 牛の肉を食べても、「この牛肉は、子牛の時から母親が愛し、主人が愛で育ててここまで来た愛の結実なのだなあ!」ということが分からなければなりません。愛の実を食べて生きるという概念を中心として愛し、神様の本質的愛と一致する立場で食べて感謝する人は、病気にもならないというのが理論的な結論です。


(天一国経典『天聖経』第6篇・第3章・第3節・26)


 父の物は神聖な物です。その万物が神聖であってこそ、その万物を食べて生きる「私」の体が神聖になるのです。その万物が無限の価値をもつようになるとき、その万物を生活要素として暮らす私の体が無限の価値をもつのです。


(同 第6篇・第3章・第3節・10)


 万物世界は、神様の産毛のようなものです。これが汗で流れ、時が来て落ちていく立場にあったとしても、神様の体と一致していた存在として「私」が愛し、触れるのと同じように、万物を愛しながら食べて生きてこそ、病気にならないというのです。

 神様が愛するものを造られたので、造られたその愛するものを神様のように愛し、神様の代わりに食べてあげて、神様の代わりの人格になるとき、すべての栄養素は健康を支えるようになっているのです。病気になって死ぬようにはなっていません。そのようにするためには、神様の愛と生命と血統と一つにならなければなりません。神様の代身存在にならなければならないのです。


(同 第6篇・第3章・第3節・24)