(『祝福家庭』84号)
3福】「主管性完成

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第3祝福】
「万物に対する姿勢」に関するみ言(3)

 神様の愛が宿っている自然を見つめて、「世の中の王や有名人がもっている、立派だという物と比べられるだろうか。骨董(こっとう)品と比べられるだろうか。有名な婦人が着ている豪華な服と比べられるだろうか」という思いをもたなければなりません。それができなければ、私たちは、自然界の前に、我知らず罪を犯しているのです。

 一つの生命体を見るとき、「人間が作った物と比べられようか。いくら立派な人でも、神様より立派であるはずはない」と言いながら、神様が心情を注いで造られた万物を手に取り、何よりも貴く感じる者がいるとすれば、これは間違いなく神様の息子、娘です。このような人には祈りが必要ありません。神様と共に生きる人です。神様は人間を、そのような位置にまで押し出すのです。


天一国経典『天聖経』第6篇・第3章・第4節・5


 人間が生きるためには、空気と水と太陽の光、その次に土がなければなりません。ですから、太陽が有り難く、水が有り難く、空気が有り難く、その次に、土が有り難いのです。皆さんが汚いものを空気の中に投げても、地に落ちます。地を保護しなければなりません。地に肥料をあげなければなりません。肥料をあげれば、その肥料で生命の種が育つのです。

 母親は、家で最も汚いものを触ります。地と同じです。母親のところに行ってこそ、家庭がきれいになります。男性は何でも散らかしておくのです。地を無視し、やたらに踏んで歩き回るというのです。


(同 第6篇・第3章・第4節・11)