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ダーウィニズムを超えて 34

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第三章 ドーキンスの進化論と統一思想の新創造論

(四)延長された表現型

 ドーキンスによれば、遺伝子の効果は外的な表現型として現れるのであり、表現型は遺伝子の代理人であるという。生物個体の中では遺伝子同士が生存をめざして闘っており、外では個体同士が生存競争をしているのである。すなわち戦争のそれぞれの司令室にいるのが遺伝子であり、戦場になっているのが表現型というのである。

 ドーキンスは「延長された表現型の中心定理」とは、「動物の行動は、それらの遺伝子がその行動をおこなっている当の動物の体の内部にたまたまあってもなくても、その行動の“ための”遺伝子の生存を最大にする傾向をもつ(*37)」ということであると言う。そして遺伝子が及ぼす効果は、その遺伝子をもつ動物のみならず、他の動物にまで及ぶという。遺伝子のパワーが及ぶプロセスについて、ドーキンスは次のように説明している。

 遺伝子のパワーがはたらく最初の部位は、したがって細胞であり、わけても遺伝子の位置している核の周辺の細胞質である。……ある遺伝子の表現型発現は、まずは、細胞質での生化学的諸過程への影響である。ついで、これは細胞全体の形態と構造に影響を及ぼし、さらに近隣の細胞とその細胞の化学的ならびに物理的相互作用の性質にも影響を及ぼす。そしてさらに、これは多細胞組織の構築に影響し、順にその発生しつつある体におけるさまざまな組織の分化に影響していく。最後には……生物体全体の属性が表れてくるわけである(*38)。

 一つの遺伝子の表現型効果が必ずしもすべて、それが位置する個体の体の内部に限定されていない。……遺伝子は個体の体壁を通り抜けて、外側の世界にある対象を操作する。対象の一部は生命のないものであり、またあるものは他の生物であり、またあるものははるか遠く離れたところにある。ほんのちょっとの想像力がありさえすれば、放射状に伸びた延長された表現型の力の網の目の中心に位置する遺伝子の姿を見ることができる。世界の中にある一つの対象物は、多数の生物個体のなかに位置する多数の遺伝子の発する影響力の網の目が集中する焦点なのである(*39)。(太字は引用者)

 一個体の中にある遺伝子はあたかも電波の発信機のようであり、そのパワーは放射状に広がってゆくのであり、遠くまで及ぶという。たとえばビーバーの造るダムはビーバーの遺伝子の表現型であり、ビーバーの住む湖でさえも、ビーバーの遺伝子の表現型であるという(*40)。かくして、ビーバーの遺伝子による遠隔作用は数マイルにまで及ぶという。カッコウはヨシキリの巣に卵を産んで、ヨシキリにカッコウのひなを育てさせるが、それもカッコウの遺伝子による延長された表現型の遠隔作用とみなすことができると言う。

 ところが一方で、遺伝子の作用を否定するようなことも言う。シロアリの塚の形成の場合、個々のワーカーは遺伝子から来る指令に従っているというよりは、すでにでき上がった部分から放たれる局部的刺激によって行動するのだという。

 大きなシロアリ塚の小さな片隅で働いているシロアリの個体は、おそらく、発生しつつある胚における細胞、あるいは自分のあずかり知らぬ大きな作戦計画のなかである目的をもった命令に辛抱強く従っている一人の兵士と、同じような立場に位置しているのだろう。完成したシロアリ塚がどのように見えるかといった全体的イメージにも匹敵する何かが、一匹のシロアリの神経系の中にかすかにでもあるわけではない。各ワーカーは行動規制という小さな道具一式を備えており、彼または彼女は、おそらくすでにでき上がった部分……から放たれる局部的刺激によって、つまりそのワーカーがいるごく近辺の巣の現状から発せられる刺激によって、ある行動項目を選んでいるのだ(*41)。

 ドーキンスはまた、ハチやシロアリは一つの大家族をつくっているが、個体が繁殖個体になるか、不妊のワーカーになるかを決定しているのは環境であって、遺伝子ではないと言う(*42)。以上のようなドーキンスの主張を統一思想からいかに理解しうるのであろうか。

 遺伝子の遠隔作用について言えば、遺伝子は強力な発信装置ではあるまいし、遺伝子から電波のように指令が発生されて、それが数マイルまで及ぶというのはどうみても荒唐無稽な主張である。統一思想の観点から見れば、DNA自体は形状であり、DNAの背後には性相面としての生命があり、それは宇宙にみなぎっている生命の場(ライフ・フィールド)に連結されているのである。ライフ・フィールドがDNAに作用すると、そのDNAのもっている情報を読み取り、その情報の指令に応じて生物個体の成長や行動を導いているのである。

 ライフ・フィールド自体、個々の生物の設計図をもっている。したがって、ライフ・フィールドが個体のDNAの情報を読み取るということは、ライフ・フィールドがもっている情報と個体のDNAの情報が照合されることを意味するのであり、照合されることによってライフ・フィールドが働き始めるのである。

 ライフ・フィールドの作用という観点から見れば、ドーキンスのいう延長された表現型の長い腕も理解できる。すなわちビーバーのダムも、ライフ・フィールドがビーバーの遺伝子からダムの構想を読み取り、ビーバーを導いて、ダムをつくらせているのである。カッコウがヨシキリに里親の役割をさせているのも、カッコウの遺伝子、ヨシキリの遺伝子を読み取っているライフ・フィールドが、両者を協力させるように導いているのである。

 シロアリがアリ塚を築くのに、アリはすでにでき上がった周囲のアリ塚の一部に影響されて、自分の使命を遂行するというが、そのとき、シロアリ自身は自覚していないとしても、シロアリの行動を導く設計図や指令が必要である。ライフ・フィールドがシロアリの遺伝子を読み取り、見えない鋳型のようなアリ塚の設計図を形成し、それによって、シロアリを導いて、アリ塚を作らせていると見るべきである。アリやハチが女王になったり、不妊のワーカーになったりするのも、物理的な環境がそうさせているというのではなく、アリやハチのコロニーの構想を読み取ったライフ・フィールドがそのように導いているのである。

 ドーキンスによれば、ビーバーの遺伝子のパワーは湖全体に及ぶのであるが、シロアリの遺伝子のパワーは自身にも、また周囲のシロアリにも及んでいない。これはおかしな話ではないか。ビーバーのダムやシロアリの塚の設計図を読み取ったライフ・フィールドがビーバーやシロアリを導いていると理解したほうが合理的である。

 ライフ・フィールドの存在を主張したのは、エール大学解剖学元教授のハロルド・バー(Harold Saxton Burr, 18891973)である。バーの主張は次のようである。

 すべての生物がその輪郭に沿って成長する不可視の電気力場、ライフ・フィールド。菌類、植物、動物を問わず、生命をもつものはみな、この永遠の青写真の設計のもとに生まれ、形づくられてゆく。そして常に、宇宙のかなたから発信されるさまざまなメッセージを受信し、その影響の波動はたちまちのうちに全地球をおおう(*43)。

 バーによれば、ライフ・フィールドは「ゼリーの鋳型」すなわち「見えざる生命の鋳型」である。バーは次のように言う。

 大自然のふところには、ほぼ無限といってよいほど多様な「ゼリーの鋳型」が眠っている。地球上の無数の生命形態は、それらの「鋳型」から生み出されてきたのである。これまでライフ・フィールドが観察された例は、人間の男女はむろんのこと、多種多様な動物たち、樹木、卵、種子、さらに、下等な変形菌にまで及んでいる(*44)。(太字は引用者)

 そしてバーによれば、「エネルギーに方向性をもたせるのがライフ・フィールドであり、その結果、生物パターンが出来上がる(*45)」のであるが、「近代科学をもってしてもまだ解けない最大の問題のひとつが、生物システムの組織またはパターンの謎である(*46)」と言う。生物のパターンとはデザインにほかならない。

 元東大教授の牧島象二(19072000)も、この生物のパターンの謎に挑み、生物のもつパターンは、明らかに反エントロピー的で現代科学では解きえないとして、位相数学(トポロジー)を使う「パターン・ダイナミックス」を提唱した(*47)。

 バーや牧島の唱えた生命の鋳型や生物のパターンは、統一思想から見れば、神による、生物の設計図に由来するものである。すなわち、生物の設計図が宇宙生命の中に宿っていて、それが生物を導いているのである。バーも、ライフ・フィールドはすべての生物の青写真をたずさえて、宇宙のかなたから発信されて、生物を形づくっているという。しかし統一思想では、設計図(青写真)はDNAの中にも組み込まれているのであり、ライフ・フィールドのたずさえている設計図とDNAの中にある設計図が照合されることによって、「見えざる生命の鋳型」がDNAの周囲に形成されると見るのである。

 ドーキンスの言う表現型の長い腕は、生物界を背後から導いているライフ・フィールドの存在を、はからずも唯物論の立場から論じたものといえよう。ドーキンスの主張する、はるか遠くまで及ぶ遺伝子のパワーと、統一思想の主張する、生命の波動の受信器としてのDNAをそれぞれ図33と図34に示す。


*37 リチャード・ドーキンス、日高敏雄他訳『利己的な遺伝子』紀伊国屋書店、2006年、396頁。
*38 リチャード・ドーキンス、日高敏雄他訳『延長された表現型』紀伊国屋書店、1987年、419頁。
*39 リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』415頁。
*40 同上、387頁。
*41 リチャード・ドーキンス『延長された表現型』380頁。
*42 リチャード・ドーキンス、垂水雄二訳『遺伝子の川』草思社、1995年、13頁。
*43 ハロルド・サクストン・バー、神保圭志訳『生命場の科学』日本教文社、1988年、表紙カバーの解説文。
*44 同上、12頁。
*45 同上、152頁。
*46 同上、135頁。
*47 東大物性研究所の光物性研究室の教授であった牧島象二氏は大形単結晶の育成は困難であること、生物のサイズには規格があることから、結晶や生物にはパターンがあると考えて、パターン・ダイナミックスを提唱した

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 次回は、「ミームとは何か」をお届けします。


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