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私の心の中にいる神様 201
自分を守ろうとしていただけ

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 毎週土曜日に配信予定です。

自分を守ろうとしていただけ

(男性 40代)

 私の妻は工学部で大学院卒、知的で理論的な人です。
 私は子供が悪いことをしても、「子供だし、仕方ないな」と流せるのですが、妻はそうではありません。一つ一つに厳密で、一言一言に細かい妻に、私はしばしば葛藤してしまいます。

 これが極まると、最後に「これだから大卒の知的な女性は!」と結論付けていました。
 ですから私には、女性を見て「大卒の知的な女性だ」と判断するや否や、何も起きていなくても心に壁ができるという悩みがあったのです。

 年末、年賀状を書いていた時のことです。信仰の親(女性)宛てに書きながら、伝道された青年の頃を思い出しました。
 当時、信仰の親は青年部の指導を担当していて、誰かが真の父母様の願いにそぐわないと感じると、すぐに厳しい分別の言葉を飛ばしてくる人でした。

 私が彼女から面接を受けている時、「教会の先輩にこんなことを言われて…」と少し不満めいた言葉を口に出したら、彼女が急に涙を流し始めました。
 「あれ? 珍しく僕の話を聞いて同情してくれるのかな?」と思ったら、彼女は「こんな話をする兄弟を頼りにしないといけない神様がかわいそう、お父様~!」と叫んだのです。

 「分かってくれない人だな! 何かあるとすぐにお父様~と叫んでどこかに行ってしまう人だな!」と思い、以来、私は「信仰指導」という枠組みの人と話すのが苦手になりました。

 このことを思い出しながら、「自分の思いにそぐわないと、とにかく、その人の属性のせいにして、『だから〇〇という属性の人は駄目なんだ』と決め付けて自分を正当化する」という癖が、自分にあったことに気が付きました。
 その癖は、「知的な大卒の女性」という枠組みに限らず、いつも私を虜(とりこ)にしていたんだなと分かったのです。

 自己牧会プログラムに出合ってからは、囚(とら)われて苦しむという構図を客観的に見ることができるようになりました。
 そして、人に葛藤して心に壁をつくるのも、単に自分を守ろうとしていただけなんだ、ただそれだけのことなんだと理解できるようになったのです。
 だいぶ心が解放されてきたと思います。

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 次回は、「一緒に学ばせてもらっている」をお届けします。


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