続・夫婦愛を育む 12
不機嫌でもいい?

ナビゲーター:橘 幸世

 Blessed Lifeの人気エッセイスト、橘幸世さんによるエッセー「続・夫婦愛を育む」をお届けします

 先日、新聞に連載の時代小説を読んでいて、こんなフレーズに出合いました。

 「俺たちゃそもそも、恥を搔くために生きてンだってことにさ。そいつが人に与えられた一番の仕事だってのを思い出したのだ。完璧なんてものは幻想でしかないからな。生きて、恥掻いて、また生きてってのを、死ぬまで繰り返すのが本来の役目なんだと気付いたら、俺の歩んできた道もあながち間違っちゃいねぇと思えてな」(『惣十郎浮世始末』)

 小さな失敗をしてうなだれる雇人を慰めるために主人公が発した言葉です。
 この表現には驚きました。

 「恥を掻(か)く」に関しては自分にもあまた覚えがあります。
 極論と思いつつも、筆者が何か深いことを言ってくれるのかと続きを期待しましたが、残念ながら恥うんぬんに関してはこれで終わりでした。

 「恥を掻くのが一番の仕事」とは到底肯定できない一方で、この表現に少し気が楽になったのも事実です。

 何十年も前の事でも、「あの時あんなことをしてしまった」「あんなことを言ってしまった」「間違ってしまった」と、誰も覚えていないであろう、本当にささいな事でも、苦い経験がふと頭をよぎります。忘れちゃったら楽なのに、厄介な心のお荷物。

 でも、それが「生きている上で普通」と言い切られると、荷が少し軽くなります。
 自分の中にある“自分を責める存在”って、もてあましがちです。

 他人がそれらの失敗をしたら、「気にしない、気にしない」と、軽く受け流し励ましていたであろう事。
 人がしたら許せるのに、自分がしたら許せない? また、自分の言動に対する相手の(本音の)反応を勝手に想像して勝手に傷つく、というパターンもありますね。

 先日、こんなことがありました(やらかしました)。
 ちょっと疲れていた私。作業中、ある人が背後から声をかけてきました。でも、少しだけ反発を覚えた私は、聞こえないふりをしてスルー。作業を続けました。相手の顔を見ていないので、どう感じたかは分かりません。

 後になって、「悪かったなぁ」とまた心の中で引きずりました。
 そんな時思い出したのが、婦人向け講座でお話ししている、「不機嫌でいる権利」。

 疲れてストレスを抱えて帰宅した夫が、家族の気分を害さないように無理して明るく振る舞う。それってしんどいでしょう。家族の前でくらい、不機嫌でいさせてあげましょう。負の感情を処理するのは簡単ではありません、という内容です。

 ふと、自分にもたまには不機嫌でいることを許してあげよう、と思いました(10年以上この話をしていて、自分に当てはめたのは初めてでした!)。

 以前にも本欄で触れましたが、“自分をよしよしする”の、大事です。