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【B-Life『世界家庭』コーナー】
砂漠と炎熱のイスラムの国から
北アフリカ・スーダン日誌⑨
どんな努力も砂と暑さの中に消えてしまう世界

 2015年から2016年まで『トゥデイズ・ワールド ジャパン』と『世界家庭』に掲載された懐かしのエッセー「砂漠と炎熱のイスラムの国から 北アフリカ・スーダン日誌」を、特別にBlessed Lifeでお届けします!

 筆者の山田三穂さんは、6000双のスーダン・日本家庭です。

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 4月から9月頃までの期間、週に1、2回やってくるのが、〝砂嵐(ハブーブ)〟です。

 その前触れとして、空の片隅に土色のモクモクとした雲が発生します。その雲はあっという間に巨大化し、激しい風が砂を巻き上げながら吹き荒れるのです。まるで皆既日食のように昼間でも辺り一帯が真っ暗になります。砂嵐は、短くて2、30分ほどですが、数時間続くこともよくあります。

 嵐が去った後の家の中は、さんたんたるありさまです。建て付けの悪いスーダンの建物は、ドアや窓の隙間から砂が入り込んでくるのです。家の中にいても、シーツにくるまって砂がかからないようにしなければなりません。それでも嵐の後は体中がじゃりじゃりして、水を浴びずにはいられません。家の中の砂を掃き出すのも一苦労で、バケツにしたら1、2杯分くらいの砂が出ます。

 私は外出中に何度か砂嵐に遭ったことがあります。目を開けていられないうえに、息をするのも大変です。トップ(女性の民族衣装)で顔を覆いマスクの代わりにして、急場をしのぎました。

 この時期は、雨季(7〜9月)も迎えます。雨季は砂嵐が少し収まりますが、雨が一気に降るので道路は沼地のようになります。水が引くまで時間がかかるため、そこには草や灌木が出現します。

 雨季が去れば、沼はなくなり、木も枯れてしまうのですが次の雨季が来れば、また生えてくるという繰り返しです。大雨によって家が崩壊するということもしばしばありますが、人々は家ならまた建てればいいと思っています。

 スーダンは国土の30パーセント以上が砂漠です。自宅から車で15分も走ると砂漠地帯が広がっています。

 私は砂漠を見ると思い出すのが、「月の砂漠」(童謡)です。「月の砂漠を はるばると 旅のラクダが行きました……」という歌詞から幻想的で美しい情景を連想していましたが、現実はそんな甘いものではありませんでした。

▲サハラ砂漠の東の外れ

▲砂漠を越えてスーダンのピラミッドに向かう旅人を乗せるラクダ

 砂漠の旅行は死と隣り合わせです。1990年頃、地方へ向かうバスが砂漠を通過しているとき、砂嵐に巻き込まれ、道を見失い、全員脱水症で亡くなるという痛ましい事故がありました。

 また、1975年からスーダンで活動していたO先生(1800家庭)は砂漠の中にある難民キャンプに向かう途中、車のバッテリーが上がって動かなくなってしまったことがあったそうです。たまたま通りかかった車にバッテリーをつないでもらい助かったのですが、これは運が良かったのです。めったに車が来ないのが砂漠なのです。

 O先生は「それ以来、砂漠は何があるか分からないから、必ず、余分の飲み物と食料と、念のためにガソリンを持参するように心掛けている」と言っていました。

 砂漠で時折、現れるのが蜃気楼です。初めて蜃気楼を見たときは不思議な気分になりました。地平線に沿って湖と街の影が、本物が存在しているように見えるのですから。近づくとその光景は消え失せ、また視線の彼方に湖や街が現れるのです。

 時に、旅人の中には蜃気楼を追い求めて道を見失い、暑さゆえに気力と体力が消耗し、ついには帰らぬ人となるケースもあると聞きます。また砂漠の昼間は炎熱状態ですが、夜はぐっと冷え込みます。薄着で出掛けて夜になったときは凍死する恐れもあるのです。

 蜃気楼を見ながら、「砂漠の中ではどんな努力も、それらは砂と暑さの中に消えてしまう。だから全てのことは神のみ意(こころ)。焦らず、もがかず行こう」というスーダン人の心の世界が分かる気がしました。

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(この記事は、『世界家庭』2016年5月号に掲載されたものです)