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シリーズ・「宗教」を読み解く 281
キリスト教と日本 60
被ばく地に生きた永井隆

ナビゲーター:石丸 志信

 1945年89日、長崎に原爆が投下された日、永井隆の義母と彼の息子と娘は郊外の三山に疎開していたので、原爆の直撃を免れた。
 浦上の自宅は壊滅状態だったので、永井隆はいったん疎開先に居を定め、そこを彼の医療チームの活動本部とした。彼らは引き続き昼夜を分かたず救護活動を続けた。

 ひと月ほどして、疲労困憊(こんぱい)した永井隆が病床に伏し昏睡(こんすい)状態に陥ったため、医療チームはいったん解散となった。
 いよいよ最期の時を迎えたかに見えたが、彼はカトリック司祭から受けた塗油(とゆ)の秘跡とルルドの水によって奇跡的に回復した。

 10月に入り、永井隆は浦上に戻り、元の家の近くにバラック小屋を立て原子野(げんしや)での生活を始めた。
 70年間生物は住めないだろうといわれていた被ばく地に、人は住めるのか、生命はよみがえってくるのか、自ら進んで実験台となった。

 永井隆は浦上を愛し、底地を離れるつもりはなかった。キリスト教の根付いた浦上の復興に共に参加したいという思いと、科学者として被ばく地が復興していく姿を見守りたいとの思いが強かった。

 19451123日、原爆投下から三月半たったこの日、廃虚となった浦上天主堂の前広場で、原爆で犠牲となった8千人の信徒たちのために、浦上教会合同慰霊祭がささげられた。この式典で、永井隆は信徒総代として弔辞を読み上げた。

▲浦上天主堂における慰霊祭(ウィキペディアより)

 「昭和二十年八月九日午前十時三十分頃、大本営において戦争最高指導者会議が開かれ、降伏(こうふく)か抗戦(こうせん)かを決定することになりました。世界に新しい平和をもたらすか、それとも人類をさらに悲惨(ひさん)な血の戦乱に陥(おとしい)れるか、運命の岐路(きろ)に世界が立っている時、即ち午前十一時二分一発の原子爆弾が我が浦上に爆裂(ばくれつ)し、カトリック信徒八千の霊魂は一瞬にして天主の御許(みもと)に召されて、猛火(もうか)は数時間にして東洋の聖地を灰の廃墟(はいきょ)と化したのであります。…

 戦争と浦上壊滅(かいめつ)との間に深い関係がありはしないか。世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲(ぎせい)の祭壇(さいだん)に屠(ほふ)られ燃やされる潔(きよ)き羊として選ばれたのではないでしょうか。
 禁断の知恵の木の実を食べたアダムの罪と、弟を殺したカインの血とを伝承(でんしょう)した人類が、同じ神の子でありながら偶像(ぐうぞう)を信じ愛の掟(おきて)にそむき、互いに憎み、互いに殺し合って大罪を犯しています。…

 信仰の自由のない日本で、迫害の下、四百年間殉教(じゅんきょう)の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかった我が浦上教会こそ、神の祭壇に捧げられるべき唯一の潔き羊ではなかったでしょうか。この羊の犠牲によって今後さらに戦禍(せんか)を被(こうむ)るはずであった幾千万の人々が救われたのであります。…」(『愛の歌・平和の歌~永井隆の生涯』李文熙著 崔玉植・薄田昇訳/サン パウロ 2005年 51~54ページ)

 永井隆の哀切なる弔辞は続く。

▲教会前に保存されている旧天主堂の遺構

▲現在の浦上天主堂



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