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脱会説得の宗教的背景 2
違いを超えて統一をもたらす「統一原理」

教理研究院院長
太田 朝久

 YouTubeチャンネル「我々の視点」で公開中のシリーズ、「脱会説得の宗教的背景/世界平和を構築する『統一原理』~比較宗教の観点から~」のテキスト版を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
 講師は、世界平和統一家庭連合教理研究院院長の太田朝久(ともひさ)氏です。動画版も併せてご活用ください。

 「統一原理」を学ぶ中で、深く感銘を受けたことがあります。
 それは「統一原理」がさまざまな宗教や思想の違いを一つに和合し得る、優れたパラダイムを持っているということでした。

 その点について、できるだけ平易な言葉を使って、難しくならないように配慮し、分かりやすく説明していこうと思います。

 さまざまな思想の違いや、宗教の教えの違いが、世界中で宗教紛争、対立や戦争を巻き起こす“火種”となってきました。
 それらの“火種”となるものを、以下、一つずつ取り上げて紹介していきます。

神観を巡る宗教論争
 まず、宗教論争の一つとして、キリスト教の説く創造神(超越神)と、その反対に、東洋思想の説く汎神論(内在神)という、根本的に異なる神観があり、それが対立関係や神学論争などを生んできました。

 この両者は、相いれない神観として対立しています。この神観の問題を整理し、和合統一させなければ論争が終わることはありません。
 「統一原理」はこの両者を和合する世界観を持っています。

救済観を巡る宗教論争
 次に、救済観すなわち救いについても、宗教において、他力信仰と自力信仰の違いがあります。

 キリスト教は、堕落人間はメシヤによってのみ救われるという“絶対他力”の救済観を説いています。
 それに対し、仏教の宗派には、もちろんキリスト教と類似する法然、親鸞のような他力信仰を説く宗派もありますが、仏教は、基本的に“自力信仰”を説いています。

 さらには、このキリスト教の“他力信仰”に対する異なる救済観として、ユダヤ教の“自力信仰”があり、キリスト教とユダヤ教は対立構造を持ってきました。

 この他力か自力かという救済観の違いによって、宗教は論争をしてきたのです。
 「統一原理」は、この自力か他力かの対立する救済観の問題を和合する観点を持っています。

メシヤ観を巡る宗教論争
 また次に、メシヤ観についても“救済性”か“模範性”かという違いの問題があります。

 キリスト教では、メシヤは人類を救うかたであり、人類は救われる存在ということで、キリスト教のメシヤ観は“救済性”を説きます。
 それに対し、仏教は、先駆けて悟りを開く仏陀(ぶっだ/覚醒者)としての“模範性”を説きます。その仏陀を見本にして、一切衆生(いっさいしゅじょう)は仏陀を見習って煩悩から悟りの道を歩むという“模範性”を説くのです。
 「統一原理」は、この“救済性”と“模範性”の両者を和合させるメシヤ観を持っています。

 さらなる違いとして、このメシヤ観においては、ユダヤ教の“政治的解放者”としてのメシヤ観と、キリスト教における“贖罪(しょくざい)者”としてのメシヤ観の違いがあります。
 ユダヤ教では、エジプトの圧政から解放したモーセ、バビロニア王のくびきから解放してくれたペルシャ王クロス、および神から油を注がれた王のように“政治的解放者”こそがメシヤであると考えます。
 それに対してキリスト教では、罪からの解放、すなわち“贖罪者”こそがメシヤであると考えます。

 ユダヤ教とキリスト教は、メシヤ観を巡って対立構造にあります。
 「統一原理」は両者を和合する考え方があります。すなわち、メシヤである「真の父母」は血統転換によって人類の罪を清算する“贖罪者”としての使命とともに、三大祝福実現、すなわち地上天国・天上天国を実現する“政治的解放者”的な側面を持っています。

聖書、信仰観の捉え方の違い
 さらにキリスト教における重要な問題として、聖書および信仰観の捉え方において、現代キリスト教では、リベラルか福音派かという考え方の違いがあります。

 国際基督教大学の古屋安雄氏は、その著書『激動するアメリカ教会 リベラルか福音派か』(ヨルダン社)で、現代キリスト教はリベラルの神学と、福音派の神学の二極分化していることに触れています。
 すなわち、聖書解釈に対し、聖書は人的要素によって形成されたもの、平易に言い直せば、人間が書いた「歴史的所産物」という捉え方があります。
 その一方で、福音派の立場から言えば、聖書は「神の啓示」によって書かれた誤りなき絶対的真理という捉え方があります。

 この両者は対立関係にあります。「統一原理」の場合、このリベラルな神学と、福音派の神学を、二極分化されたものから、それを一つに和合させていく世界を持っています。

歴史観の違い
 そして次に、歴史観においても、キリスト教における“歴史の一回性”の考え方があります。
 この考え方は、昨日よりきょう、きょうより明日、明日よりあさってと、確実に「終末」に向かって直進しているという歴史観、すなわち歴史の繰り返しはないという考え方です。

 それに対し、ヘレニズム思想や東洋思想は“永劫(えいごう)回帰”といって、歴史は永遠に繰り返される、まるで春夏秋冬のように「回帰」する、無始無終(むしむじゅう)という考え方があります。
 「統一原理」は“歴史の一回性”と“永劫回帰”の両者の考えを、一つに和合する歴史観を持っています。

結婚観の違い
 さらなる問題として、結婚観における対立問題があります。
 ユダヤ教は、神様は父なる神ではあるにしても、その神の中に“父性と母性”があると考えています。
 それ故、神に仕えるラビは、必ず結婚しなければならないと説く世界があります。

 それに対し、キリスト教(特にカトリック教会)は、神様は男性のみであると捉え、失楽園の解釈の変遷などから、神に仕える聖職者(ローマ教皇をはじめ司教や司祭など)は、生涯独身制を貫いています。

 ここにおいて、ユダヤ教とキリスト教の結婚観の違いが存在しています。それに対し、「統一原理」はカトリック教会の聖職者の独身制の意義と価値を説きながら、ユダヤ教のラビのように、結婚の重要性も説いています。


 以上述べてきたように、これらの宗教観の違いに対して「統一原理」は、ユダヤ・キリスト教を継承しながら、そこに、仏教、イスラーム、儒教、神道的な要素などを一つに和合させ、長く続いてきた宗教紛争、および人種問題の解決をなし、人類一家族世界を実現する内容を持っています。

(続く)

※動画版「脱会説得の宗教的背景 第1回 家庭連合に反対する二つの勢力」はこちらから