愛の知恵袋 25
夢を持って生きる

(APTF『真の家庭』135号[1月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

 新年に当たって、皆様に一つの言葉をお贈りしたいと思います。
 "If you can dream it, you can do it."
 「もし、それを夢見ることができるなら、君はそれを実現できる」
 ウォルト・ディズニー(アメリカの映画製作者・監督、ディズニーランド創設者)

極貧でも東大、ハーバード大へ
 私の知人の子息K君は、大分県出身で三男二女の5人兄弟の三男として生まれました。貧しい暮らしの中でも家族仲の良い家庭でした。K君が12歳の時、最愛の母親が他界し、一家の暮らしはさらに苦しくなりました。結局、彼は高校1年生の秋で好きな野球部も辞めて、アルバイトをせざるを得ませんでした。成績はどんどん下がって行きました。しかし、彼はそんな中にあっても「日本のために生きる人間になりたい」と思い、そのために最高学府の東大へ行こうと決意し、自宅で独学を始めたのです。極貧の中で、ご飯にマーガリンと醤油をかけて食べながら、114時間以上ひたすらに勉強し、難関を突破して東大工学部に合格しました。

 バイトでお金を稼ぎながら4年間で卒業しましたが、在学中に南米へボランティアに行った経験から、さらに「世界のために役に立てる人間になりたい」という夢を抱くようになりました。英語もできない、お金もない中での無謀な夢でしたが、「どうせ行くなら世界のハーバードで学びたい」と思ったのです。英語のTOEFL試験は4回まで失敗、最初のハーバード受験は挫折でした。しかし彼は渾身の力を尽くして再挑戦し、ついにハーバード教育大学院に入学しました。帰国後は、ある財団に就職して、「よりも民間の公益活動を盛んにしたい」という夢に向かって歩み始めています。

 私は彼の姿を見ながら、近年まれに見る志の高い青年だと感銘を受けました。

自分の夢を探し出そう
 「現在の若い人達には夢がない」とよく言われますが、それには時代の影響もあるでしょう。明治時代の青年は、貧しい暮らしから脱しようと立身出世を目指し、あるいは、日本という国を西欧に負けない立派な近代国家にしたいという燃えるような熱い志を持ったのです。

 また、第二次世界大戦後、敗戦のショックと焼け野原の中から、まずは生きるための闘いから始まって、やがて物作りに精魂を傾けて技術立国を目指した高度成長時代も、ハングリーであるからこそ夢と目標を持ちやすい時代だったと言えるでしょう。

 そういう意味では、現在は豊かに物があふれ、あらゆる分野が出来上がってしまっているような世の中で、夢が持ちにくい時代なのかもしれません。

 しかし、どんな時代であれ、人間は生き甲斐を見つけなければなりません。自分の夢がどこかに必ずあるはずです。まさに、「求めよ、さらば与えられん」「探せ、そうすれば見いだすであろう」ということばの通りです。

 先のK君も、司馬遼太郎の描いた維新の群像に大きな影響を受け、「日本を導いていける一人になりたい。日本をして、世界を導いていける国にしたい」という志を抱くようになったと言っています。

年をとっても夢を持とう
 ところで、“夢”を持つことは若い人だけに必要なのではありません。退職後、家でごろごろしているお父さんはいませんか? 一日中テレビの前にすわって、「お母さん、昼ご飯は?」と三度の食事を待っているようでは、奥さんからひどく嫌われます。それに何よりも、張りのない生活をするようになると人間は一挙に老け込んで行くそうです。

 その点では、女性達のほうがはるかに活発で、「今日は誰さんの家」、「明日は公民館」、「来月は○○旅行」と抜群の行動力です。毎日体を動かして、友達と夢を語りながら趣味やボランティアに喜々として取り組んでいます。

 できれば、夫婦で一緒にやることができる仕事や趣味を持って、仲良く生き生きと暮らすことができれば、夫婦の愛情も深まって理想的と言えるでしょう。

1年の計は元旦にあり
 私の場合は、自分の目標を、①人生の最終目標、②10年ごとの大目標、③1年ごとの中目標、今月の小目標、の4段階で考えることにしています。

 皆様も新年の出発に当たって、もう一度”自分の夢”と、それを達成するための“目標”を立ててみてはいかがでしょうか。

 「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」
サミュエル・ウルマン(アメリカの実業家)