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続・夫婦愛を育む 10
プレッシャーから逃げたくて

ナビゲーター:橘 幸世

 Blessed Lifeの人気エッセイスト、橘幸世さんによるエッセー「続・夫婦愛を育む」をお届けします

 「監督が怒ってはいけない大会」――いつだったか、そんな名前の大会の様子がテレビで取り上げられていました。
 正式名称は「益子直美カップ小学生バレーボール大会」。益子さんの知人が企画し、2015年に始まりました。

 知人の申し出を受けるに際して決めた特別ルールが、大会中、監督・コーチが選手を決して怒らないこと。試合の現場で指導者が怒りたい衝動を抑えて、褒めるなどのポジティブな声かけを心掛け、叱らない指導を実践・体験してほしいとの願いからです。

 その放送を見た時は、時代の変遷を感じた程度であまり深く考えませんでしたが、その根底には、益子さん自身の選手時代の経験がありました。

 725日放送のEテレ「知恵泉」では、江戸時代の蘭学者、高野長英が取り上げられました。
 そこにゲスト出演していた一人がバレーボール元日本代表、益子直美さん。高校生で日本代表に選ばれ、アタッカーとして活躍。その外見からも人気を博しました。

 高野長英の生きざまを切り取り番組が掲げたフレーズは、「逃げるならたくましく逃げろ」。番組MCが益子さんに、逃げた経験ついて尋ねると、意外な答えが返ってきました。
 現役時代、(たくましいどころか)「こそこそ逃げてきた」というのです。
 続けてこう語りました。

 選手時代の自分は、人に言われたとおりに動いていた。他人の目がすごく気になって、自分の意見は言えない環境でやっていた。実業団時代はバレーボールを楽しめず、早く引退したいと思っていたが、日本代表に選ばれるなどして、なかなか辞めさせてもらえなかった。
 エースとしてスパイクを打たないといけない。それが怖すぎた。「自分のせいで日本が負けたら…」と思うと怖くなって、そのプレッシャーから逃げたくなった。
 スパイクを打ちたくない、もう無理だとなって、首を覚悟でセッターに「自分にトスを上げないでほしい」と頼んだ。てっきりすごく怒られると思っていたが、セッターは「分かった」と受け入れてくれた。それで二人だけのサイン、「トスを上げないでサイン」を決めた。
 結局、そのサインを使うことは一度もなかった。逃げたい気持ちを受け入れてもらったことで、楽になった。受け入れてくれた人がいたことで安心して、逃げなくなった。

 プレッシャーで押しつぶされそうになった彼女が、勇気を出して打ち明けられたこと。打ち明けられた側が、彼女の思いを否定せず、受け止めたこと。その二つが合わさって、彼女は前に進むことができました。
 人生のさまざまな局面で、私たちがいずれの側に立ったとしても、益子さんやセッターのかたのような行動を取れればと願います。

 現在彼女は、日本スポーツ少年団の本部長の任にあり、自分が弱かったからこそ務められるポジションと捉えています。
 子供たちには、「逃げてもいいんだよ」「嫌いになる前にやめなさい」「またいつでも戻るチャンスは来る」と伝えたいそうです。
 逃げなくてもいいような環境をつくりたいと願いながら。