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シリーズ・「宗教」を読み解く 273
キリスト教と日本 52
内村鑑三と再臨運動

ナビゲーター:石丸 志信

 1892年、クリスマスを前に内村鑑三は静子と結婚した。
 静子は、純朴な信仰を持つ従順、柔和、謙遜な女性で、以後、内村の良き伴侶として最期まで添い遂げた。


▲内村鑑三と妻・静子(1893年/ウィキペディアより)

 静子はルツ子と祐之の二人の子をもうけたが、愛娘・ルツ子は18歳の時に難病を患い夭逝(ようせい)している。

 愛するわが子を失った内村の悲しみは耐え難いものがあったが、その中で、突如として復活の信仰が燃え上がり、来世の希望が与えられた。
 ルツ子の葬式の時、「これは彼女の結婚式であります」と謝辞を述べ、埋葬の時に「ルツ子さん万歳!」と叫んだ。内村にとって大きな信仰の転機となった。


▲愛娘・ルツ子(1912年/ウィキペディアより)

 その頃、元号も大正に改まり、デモクラシーの思潮が高まる中、社会主義運動が推進されていく。
 第1次世界大戦が勃発し、ロシアに共産主義革命が起こった。これまで非戦論を唱えてきた内村に、この時新たな信仰の覚醒が起こり、キリストの再臨を確信するに至った。

 内村は生涯に3度、思想信仰上の大きな変化を体験している。

 第一に、1878年(明治11年)、唯一神、天地万物の創造主を信じた。この時彼は洗礼を受けている。

 第二に、1886年(明治19年)、アーモスト大学在学中、シーリー総長の感化を受けキリストの十字架による贖罪(しょくざい)を信じるに至った。

 そして、1918年(大正7年)ついにキリストの再臨を信じることができたと語っている。内村は、再臨を信じてこそ聖書が分かり、神が分かり、人生が分かるキリスト教信仰の核心だと説いた。

 この年、日本ホーリネス教会の初代監督・中田重治、組合教会の木村清松と共に、神田YMCA講堂で「聖書の預言的研究講演会」を開催。自ら再臨の信仰に至った経緯を語り、再臨運動が始まった。

▲再臨運動の中心人物、中田重治、内村鑑三、木村清松(1918年頃/ウィキペディアより)

 この講演会は毎月開催され、横浜、大阪、京都、神戸でも開催された。
 各地で信仰復興が起こり、再臨運動は全国に広がっていった。しかし熊本バンド出身の海老名弾正らが内村らの再臨説に反対を唱えた。熱狂的な再臨運動もおよそ2年でそのブームが去った。

 晩年、内村は今井館で聖書研究会を続けてきたが、1930年の春、最期の時を迎えた。

 内村鑑三は、「人類の幸福と日本国の隆盛と宇宙の完成を祈る」との遺言を残し、家族友人にみとられ平安な眠りに就いた。



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