シリーズ・「宗教」を読み解く 269
キリスト教と日本㊽
新島襄、米国を行く

ナビゲーター:石丸 志信

 1864年、米船ベルリン号に乗り込み函館から密(ひそ)かに出航した21歳の新島七五三太(しめた)は、上海で米船ワイルド・ローバー号に乗り換え一路米国を目指した。
 日本の禁を犯して出国してから1年後、船はボストンに入港し、新島は憧れの米国への上陸を果たした。

 とはいえ、英語もままならない無一文の亡命者に過ぎない新島には寄る辺もなく、これからの見通しもなかった。
 岸壁に停泊する米船の雑用係としてこき使われる毎日が続いた。まだキリスト教徒にはなっていなかったが、苦境に立たされた彼は、見よう見まねで神に祈ることを覚えていった。

 70日が過ぎた時、ワイルド・ローバー号の船主アルフュース・ハーディー夫妻が突然、日本からやって来た青年に会いに来た。
 新島の事情を聴いた夫妻は、深い感動を覚え全面的に彼を支援することを決意したのだ。それからの新島の生活は一変する。

 まずは、英語を習得するために、アンドーヴァーの町の格式あるフィリップス・アカデミーに入学が許可された。
 下宿先のフリント夫妻の導きで日曜日には教会の礼拝に出席し、キリスト教信仰を学んだ。


▲フィリップス・アカデミー(ウィキペディアより)

 ピューリタンの本場というべきニューイングランドの町の空気は、道徳的には極めて潔癖だった新島の肌に合ったようで、1年後の186612月末に洗礼を受けている。

 フィリップ・アカデミーでの英語取得を終えた後、アマースト大学で学業に励む傍ら寮生活の仲間たちとの祈りの生活にさらなる刺激を受け、宣教の志が芽生えてくる。
 いまだキリシタン弾圧政策が続く日本に、新たな福音の光を輝かせたいとの思いが強くなっていった。

▲アマースト大学(1875年ごろ/ウィキペディアより)

 その頃、1859年から日本に派遣されていた宣教師サミュエル・ロビンス・ブラウンが一時米国に帰国し、新島のもとを訪れた。
 新島は彼の日本での宣教経験をむさぼるように聞いた。ブラウンは再び日本に戻り、安中(群馬県安中市)で新島の祖父、父らと会い、新島の元気な様子を伝えることができた。

 新島は、アマースト大学を卒業後、アンドーヴァー神学校に進み、本格的に神学を学ぶ。
 1874年、神学校卒業を前にしてアメリカン・ボードのクラーク主事の前で、卒業後は宣教師として日本で働く意志を表明し、日本国準宣教師に任命されている。

 卒業式後にボストンで聖職者の資格が授与された。日本で献身的に働いている米国人宣教師たちは、日本人として初めてプロテスタント教会の聖職者の資格を得た新島の帰国を待ちわびることになる。



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