夫婦愛を育む 25
許すという行為は、第一に、許す側のため

ナビゲーター:橘 幸世

 201511月に起きたパリ同時多発テロで愛する妻を失ったフランス人ジャーナリストが、テロリストに対して声明を発表しました。

 「君たちに憎しみという贈り物は与えない」。

 憎悪に対して憎悪で応じないという姿勢に、多くの共感が寄せられました。
 「自分は残された息子を育てるのに忙しく、憎んでいる余裕はない」とも書いてあったように記憶しています。

 その精神に感嘆し涙する一方で、自分だったらとてもそんな境地になれないだろうと思いました。2000年のキリスト教歴史の土台あればこそ、の境地でしょうか。

 「許す」ということは本当に難しい、と感じます。
 自分を不快にした、傷つけた相手が心からの謝罪をしてきたときは別として(残念ながらそういうときは多くはありません)、傷つけられれば怒りや恨みを覚え、解消されなければ抱え込みます。

 日々の営みの中では忘れていても、何かのきっかけでそれを思い出します。時には、傷つけられた場面が自分の中で繰り返しリプレイされて、そのたびに怒りがよみがえります。
 それは苦しいので、そこから解放されたいのですが、相手の謝罪がないと(相手は傷つけたと自覚していないこともしばしば・・・)簡単ではありません。
 何事もなかったかのように相手と接するのは、自分だけ損したような、癪(しゃく)なような気もするでしょう。相手のためにもならないと思うかもしれません。

 けれど、先方から望ましい態度が期待できない場合、こちらだけが葛藤を続けるのですから、余計に割に合いません。
 さらに悪いことには、自分の中に負の感情が蓄積されればされるほど、他の人との関係にも(自分にとって大切な人との関係にも)無意識のうちに負の影響を及ぼしてしまうのです!

 結局、怒りを手放した方が、楽になります。そして、幸せにつながります。「許す」と言うと大変な感じがしますが、許し、もしくは相手への対処は天に委ねて、ただ負の感情を手放せばいいのです。

 「手放す」と決めて、負の感情から自身を解放する一歩を踏み出すことで、心が軽くなるでしょう。もちろん、決めたからといって怒りが完全になくなるわけではなく、何かのきっかけでよみがえってくることもあります。

 それに落胆したり自分を責めたりせず、「手放すと決めたんだ」「許すと決めたんだ」と自分の中で宣言していきます。

 意志と努力の積み重ねと時間が、そして天の後押しが、やがて晴れ晴れとした心をもたらしてくれるでしょう。